希望をもちたい
稲わらを手に入れる機会に恵まれ、わら細工に手を出した。
注連縄 とか 亀 とか作りたいと思ってるけど
とりあえず、脱穀後の わら から「みご」をとり
「みご箒」を作ってみた。
糸の結ぶ工程が、「結ぶ」ではなく「締める」で
ほんとに大丈夫かな~と心配だったけど、大丈夫だった。
昔の人が作るものって、道具とかほとんどいらなくて
シンプルイズベストで素晴らしい。
こういうの「用の美」っていうのかな。
できあがった みご箒 は、初めてにしてはよくできて
できるもんだなぁと嬉しくなり、次々作りたくなる。
お米って 収穫後も 水田や畑にすき込んだり、敷きわらになったり
飼料になったり、無駄のない作物なのだ。
稲わらで作る際も、わら部分と みご と分けて
それぞれ用途に合った品が作れて捨てるところない!
なんてサスティナブルなんだ!
と感動していたところ、夫はできた みご箒 を見て
「すごいね」と言ってくれたが
その後
「こんなんできるんや~ だってゴミやろ?」
・・・ゴミって
言い方!
もっと違う言い方あるよね?!
夫は エコ とか サスティナブル とか SDGs とか
あまり関心がない。
エコバック持って行きなよ~って勧めてもイマイチだったし
レジ袋有料化が話題になった頃は、
「そんなん言っても微々たるもんでしょ。
みんなレジ袋買うやろ。」
って言ってて、いざ有料化した世の中を見ると
「なんかエコバック浸透したよね~
こんなになると思わんかった」と。
地球温暖化とか海洋汚染とかいろんな環境問題に対して
今の自分ができることってそんなにないけど
エコバックだったり、食品トレイやペットボトル回収だとか
リサイクルに出せるものはなるべく出したりして
できることはしたいと思ってやっている。
でも、夫に言わせれば、そんな個人レベルでやったって
何も変わらないんだそうな。
そりゃ大きなことなんかできないよ。
でもどうにかしたいし、みんな意識するのが大事だし
そういう小さなことひとつひとつが大切なんじゃないの?
私と子は、この温度差にかなしくなる。
それこそ夫に悪気はない。でも思いやりもない。
そして、こういうことがまぁまぁな頻度である。
なんだかすごく馬鹿にされた気持ちになるし
無駄なことをやっているんだろうかと思う。
気持ちをへし折られて傷つく。
家族という最小単位でこれだから、世の人たちと分かり合うとか
無理なのかな? とか
なんか書いててもかなしくなってきた。
私はまだしも、これからの未来を生きていく子に対して
あまりにも希望のない、突き落とすような発言はやめてほしい。
問題たくさんあるけど
将来不安もたくさんあるけど
それでもよくしていこうって
そんなに悪いことばかりじゃないよって
それって大人の役割じゃないのかなぁ