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静かな郷、富山県黒部市 グーグルマップをゆく㉔

 グーグルマップを適当にタップして、ピンが立った町を空想散策する、グーグルマップをゆく。今回は富山県黒部市。

 黒部市は、日本地図上を少しつまんだような形をした日本アルプスの裾の町で、ダムが有名である。

 歴史的なことがあまり浮かび上がってこないのだが、この山岳によるものだろう。どうやら、静かなところのようだ。

 若栗城跡というのがある。戦国期の築城で、「館の城(たちのしろ)」とも呼ばれている。信長以前まで普通であった土塁と堀で囲まれた平屋の館のみの平城であったのだろう。

 不悪糺斎右京輔が城主をつとめ、上杉謙信が越中に侵攻した際に抗戦し、その際、不悪糺斎右京輔の妻とも息女とも言われる女性が共に奮闘したという話が残っている。

 1559年から1568年にかけて、越中では内乱があり、武田信玄に属する神保長職と上杉謙信に属する椎名康胤との代理戦争であった。

 不悪糺斎右京輔の話は、たぶんこの戦のことで、不悪糺斎右京輔は神保長職の家臣だったのだろう。女性もが戦に加えねばならぬほど、ひっ迫した戦だったことが伺える。

 不悪糺斎右京輔とい不思議な名前と逸話が気になって色々調べたが、私の調べ方ではこの話の出処が掴めなかった。「越中古城館跡記」という文献に載っているらしいが、ネット上では見つけ切ることができなかった。

 若栗城跡の近くに鶏野神社というところがあり、大伴家持が植えたとされる桜がある。大伴家持は、若栗城での戦いよりも遥か昔の奈良時代8世紀の人で、越中の国司として赴任している。

 中国地方の因幡国や鹿児島薩摩国へも赴任している。なかなかの策士だったようで、危険人物としての左遷人事だったようである。最後は、東北陸奥国で生涯を終える。

 そんな大伴家持の歌が鶏野神社に石碑として残っている。

「鶏の音も聞こえぬ郷によもすがら月より外に訪う人もなし」

という歌であるが、「鶏の足音も聞こえないようなところで、一晩中月以外にくる人もいない」という歌である。

 当時の地方はどこも静かであったとは思うが、日本各地を転々とした家持が歌うと、何やら重みがあり、よほどの静けさだったのかと思ってしまう。

 鶏野神社にかけて歌ったのか、歌から鶏野と名付けたのかはわからないが、とにかく当時の様子がよく伝わる歌である。

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