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VERITAS Seminarii

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#聖餐式

VERITAS Seminarii[ヴェリタス・セミナリー]第六楽章「Eucharist〈4〉」

VERITAS Seminarii[ヴェリタス・セミナリー]第六楽章「Eucharist〈4〉」

聖体的礼拝

さて、カトリックのミサは「聖体的礼拝」 とも言われるが、 パンとぶどう酒は「これはわたしの体である」「これはわたしの血である」という、主の言葉を直接的に字義通り解釈されることによって成立する。

しかしその結果は叙階された司祭による聖体の聖変化であるのは前述した。キリストの大祭司職は永遠であり死というものがないため「後継者」も「継承者」も不要なのである。

このように確かに私たちは祭

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VERITAS Seminarii[ヴェリタス・セミナリー]第四楽章「Eucharist〈2〉」

VERITAS Seminarii[ヴェリタス・セミナリー]第四楽章「Eucharist〈2〉」

キリストの十字架の犠牲と同化

更に加えて、聖餐の現場では「什一献金」や「食料援助」、「その他の捧げもの」が伴うが、資本主義的なキリスト教に汚染されたユーカリストでは「献金」だけがクローズアップされることに違和感を覚えてしまう。

同時に聖書は第一テモテ書5章17節で 「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうで

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VERITAS Seminarii [ヴェリタス・セミナリー]第三楽章 「Eucharist〈1〉」

VERITAS Seminarii [ヴェリタス・セミナリー]第三楽章 「Eucharist〈1〉」

プロテスタントにおける聖餐の回復は、私たちにとって、 果たして無意味なことであろうか。

主日礼拝の現場では、少なくとも月に一度、若しくは、年に数えるほどの執行となっている。

無論、毎週、聖餐式を執行する教会もあるが、 説教 = 言葉の祭儀(シナクシス、 συνακσις) と比較して、聖餐式(ユーカリスト、ευχαριστω)は形式的・儀式的に衰退している可能性が高い。

聖餐の教義学的文

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