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神道はどこからやって来たのか?興味を抱き対馬へ行ったお話

トップ写真 対馬 姫神山砲台跡 日露戦争に備えて作られた


神道はどこから来たのか


神道はどこから来たのか?
考えたことありますか?

数年前の私。
阿波に行き着く前。
神道のルーツに大変興味を持って、
全国各地を訪れては、
神道になる前の古神道の形跡。
探し求めていた時期があります。

対馬 亀卜が今も行われる雷神社 亀の甲羅を用いる占いの起源は3000年前の殷王朝

仏教は大陸から日本に入って来た。
これは、多くの人にとって常識。

神道や先進文化もまた、
大陸の影響を受けていたのではないか。
当時の私は、そんな仮説を立てていました。

大陸から一番近い島へ

そこで訪れたのは、
朝鮮半島が目視で見られる対馬と壱岐島。

古代、エンジンのない船で、
大陸と日本を移動しようとすると、
途中に中継基地が必要。
大陸から一番近い対馬には、
古い神道のなごりが残っているのではないか。
当時の私は考えていたのです。

壱岐島 原の辻遺跡 古代船
対馬 南側の海から北側の海へ最短ルート
大海から小さな湾へ 遣唐使は船を乗り換えた 対馬

日本全国の古社の記録。
平安時代に書かれた延喜式神名帳。

九州全体では、
98社で108座の神様が記録されています。

その中で、対馬は29社。
壱岐島では24社。
この2島で九州全体の半分以上の式内社。

九州全体の分布としては、
主に北九州エリアに数多く、
神話の世界とされる南九州の式内社は少数。
不思議ですね~。

式内社の数の多さと地理的理由から、
対馬には何かありそうな予感。

朝から日暮れまで休む暇なく神社巡り

伊丹空港から福岡空港。
福岡空港から対馬空港。
関西からアクセスするには最短時間。
朝鮮半島に一番近い日本へ到着。

レンタカーを借りて、3泊4日。
朝7時には宿を出発。
食事の時間も取らず、
日が暮れるまで神社を巡ってました。(笑)
対馬は意外と広いのです。

式内社29社と言っても、
ここです。と、確定された神社は少数。
ほぼ全部と言っていいくらい論社が複数存在。
29社くらいなら。と、軽く考えてましたが、
×3倍くらいは回ったかな。

中には廃社となった神社もあり、
立ち入り禁止のフェンスの途切れた所から、
山に分け入ると、
参道の石段は崩れ、
傾いた鳥居がある。
そんな神社もありました。

探して行ったら廃社だった神社 石段は崩れ なんともいえない

神社だけではない対馬の見どころ

全体的な印象として、
古神道の名残なのか。
亀卜や鹿の骨を使った祭祀形態が、
今でも残っていたり、

 対馬 雷命神社 占いの神イカツオミを祀る
雷命神社 鹿の角が

立派な鳥居があるのに、
その先には社がない。

対馬必見 天神多久頭神社(たくずだま)
天神多久頭神社 鳥居をくぐり階段の先には?
これだけでした 社殿なし 山がご神体


対馬 天道神社 鳥居の先には
石祠だけでした 阿波とそっくり

そんな神社も複数存在しています。

他、何といっても、
神功皇后の痕跡が多く残ります。
三韓征伐で新羅に出兵、
朝鮮半島の広い部分を支配下に治めた。
そんなお話です。

船を使っての移動なので、
住吉系の神社も複数存在。

対馬 住吉神社

歴史の授業で習った元寇。
対馬は元の襲来を受けて、
壊滅的被害を受けました。
全滅に近い状況。

小茂田浜神社 元寇戦いの場所 全滅

元と戦った島主、宗助国と家臣団を
祀る神社もあります。

小茂田浜神社 宗氏と家臣を祀る

神社ではありませんが、
近代史としては、日露戦争から大東亜戦争。

ここ対馬は海の重要な要諦でした。
使われなかった大砲跡等。
重厚なレンガ造りの遺跡が残っています。

行くときは道に注意してくださいね 道細いし落石砂利だらけ

小説、坂の上の雲ではないですが、
小国日本が大国ロシアと相対し、
最後の決戦を迎えようとしている時、
対馬沖を航行するだろうバルチック艦隊。

ここから見張っていたんだと考えると、
なんとも言えない気持ちになりますよ。

地政学的に見ても、
現在の沖縄と同様。
対馬は、重要な拠点でありました。
大陸と対峙する日本の先鋒。

歴史の中、
島の人たちは何度も試練を味わったはず。
今も領土問題はくすぶってます。

対馬→壱岐島→北九州

神社から、話が逸れてしまいましたね。

対馬に残る古神道の痕跡。
それを見た時、
やはり、神道は大陸からやって来た。
そう思っていました。

なぜかというと、
その後、訪れた壱岐島。
そして佐賀、福岡エリアの古社。

対馬からの流れで見ていくと、
対馬では、
古代祭祀の痕跡がはっきりと残っているのに、
壱岐島に来ると、少し垢ぬける。(笑)
そして九州まで来ると、
社伝は豪華絢爛できらびやか。

福岡 筥崎宮 立派です
祀神は八幡系の神様と玉依姫

誰かが言ってました。
対馬を渡れば道になる。
お茶も茶道、お花は華道、柔術は柔道等など。
神道も儒教の流れから神道へ。
なのだろうか?

今では日本全国の神社に祀られる神々。
多くがここ対馬から分霊された。

等と考えてしまっていたのです。

それは、進んだ文化というものは、
全て大陸経由でやってきたという、
間違った先入観から。

日本発世界へ 逆説もありじゃない?

でも実際は逆じゃないか。
日本のある場所から、
大陸へ進出した倭勢力が、
壱岐島、対馬へ、
信仰の対象となる神を祀って行った。

今では、そのように考えは変わっています。

そして、日本のある場所からのある場所。
とは、どこなのか?

それは、ひとつしか考えられない。
あえて書かないでおきます。(笑)

阿波木屋平 元祖高天原?

学校で習ってきた歴史教科書。
その内容のせいもあり、
古代はなんでもかんでも大陸から。

私世代はそんな先入観を持っています。

しかし、はるか昔。
ここ日本列島にいた縄文人は、
世界をリードする文明を持っていた。

最先端だった?縄文式土器

ひょっとして、
教科書で習った世界の古代文明。
実は、縄文人の影響を受けていた。
かも?
そんな妄想が広がって行くのです。

今日は、徳島から離れ、対馬のお話でした。

対馬も壱岐島も、大変面白い発見があります。
歴史好きな方には、本当におススメです。
少しずつ、ご紹介させていただきますね。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。




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