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出雲神話の主人公 大国主の命の本拠地 島根県なのでしょうか?


ようやく出雲の神へ

note始めてこれまで、
高天原の神である天津神を祀る神社についての投稿が多かったです。

ようやく前回、事代主を祀る式内社。
事代主神社について書くことができました。

そこで、古事記に書かれる出雲は、
島根県ではなく、徳島県である。
と、多くの日本人が耳を疑うようなことを書いています。

出雲の神々とされる神様を祀る式内社。
阿波で見られるのに、
本家とされる島根では記録がない。

733年に完成した出雲国風土記。
古事記に書かれているオオクニヌシの話が、
古事記と異なる。

出雲国を造ったのは、
ヤツカミズオミツノミコト(出雲独自の神)
と書かれており、オオクニヌシとは書いていない。

では、オオクニヌシはどこに居たのでしょうか。

オオクニヌシの神話


稲羽の素うさぎのお話。
多くの人がご存知かと思います。

私は幼稚園の時、(もう半世紀以上昔)
紙芝居で聞かせてもらった記憶があります。

当時の記憶があるのですが、
私は日本神話系の紙芝居より、
グリとグラのお話が大好きでしたから、
日本神話系の紙芝居は好みではありませんでした。でも内容は今でも覚えています。

ヤガミ姫を奥さんにしようと、
オオクニヌシの兄神たちは稲羽に向かいます。
大量の引き出物をオオクニヌシに背負わせ。

その道中に素うさぎと出会います。
兄神たちはうさぎを騙し、
うさぎの傷はひどくなります。

後からオオクニヌシが正しい治療法を教え、
うさぎを救います。

オオクニヌシに重い荷物を背負わせ、
うさぎにヒドイことをした兄神たちからの求婚を断ったヤガミ姫。
心優しいオオクニヌシと結婚します。

ここまではハッピーエンドでしたが、
このお話には続きがあり、
嫉妬した兄神たちから、
オオクニヌシは、執拗ないじめを受けるのです。
(今も昔もいじめはあったのですね)

困ったオオクニヌシは、
スサノオが統治する国へ逃げ込みます。
そこでスサノオからも、
多くの試練を与えられます。

スサノオの娘のスセリ姫と、
良い仲となったオオクニヌシですが、
スサノオは結婚を認めず。

オオクニヌシは、
スセリ姫と駆け落ちをするのです。
(日本初のかけおちか)
そして遂に、
出雲を治める大王へと成長していくのです。

ちょっと適当ですが、
簡単にそんなお話でしたね。

粟の国と長の国


オオクニヌシが大王となった地。
現、徳島県の南部と言われています。

徳島県阿南市には、オオクニヌシを祀る式内社。
八桙神社(やほこじんじゃ)が残っています。

オオクニヌシにはいくつかの呼び名があります。
オオクニヌシ、オオナムチ、アシハラシコオ、
ヤチホコ、ウツシクニタマ。
等々。

その名の中で、ヤチホコを冠する式内社です。

阿波は昔、南部を長の国。
北部を粟の国と呼んでいました。
おそらく、
長の国はオオクニヌシ系(出雲)の海洋民。

粟の国は、アマテラス系(高天原)の農耕民。
ざっと、分類されるのかと思います。(私見)

オオクニヌシを大王とする出雲勢は、
南部の海岸部から、北部平野部、吉野川流域まで領土を広げて行ったと推測されます。

卑弥呼の時代に国が乱れたと記録があるのは、
出雲族対天孫族の間に、
仁義なき戦いが行われていたのではないか。

そしてその後の国譲り神話へと続いて行く。
これは、私の推論です。
でも、地理的なことや神話の流れが分かると、
神社回っていても、とても楽しいですよね。

延喜式内社 八桙神社


話戻します。
八桙神社。
オオクニヌシの本拠地といえる場所。
田園の奥、小高い山の上に本殿は鎮座。


参道に建てられている石碑をみても、
大物感が半端なく漂っています。

とはいえ、有名な神社のような豪華絢爛さがあるわけではありません。

国譲りが行われ、
出雲系から高天原系へ政治の中枢は移ったとしても、天孫系は今でも、オオクニヌシを畏れ奉っている。

長い年月が過ぎた現代でも、
天皇家からこの神社へ参拝しなければならない。そんな秘密が隠されているように感じる神社でした。

オオクニヌシを祀る式内社。
出雲大社の大しめ縄も神々しいですが、
オオクニヌシの本拠地。
出雲大社の元社かもしれない八桙神社。
是非、お参りしてみてください。
感じる方は、
おっ!
この神社、なんか違うぞ!
気が付かれると思います。

鳥居前の参道わきに広がる田園。
オオクニヌシが、
統治していた時代を思い起こさせてくれる風景です。

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