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隠岐へ流された後鳥羽天皇のお世話をし、没後今も墓を守り続ける村上家

トップ写真 後鳥羽天皇をお祀りする隠岐神社


第82代天皇 後鳥羽天皇最後の地へ

隠岐の島シリーズ。
島後エリアにある重要な神社三社。
ご紹介させていただきました。

そして今日は島前エリアへ。
島後にある西郷港からフェリーにて移動。
島前エリアのひとつの島。
海士(あま)町へ到着。

隠岐島後から島前へのフェリー上から撮影
海士町の港へ入る辺りの景色

この島を訪れた目的は隠岐神社。

隠岐神社自体は1937年創建された
比較的新しい神社です。
御祀神は後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)。

後鳥羽天皇は、
壇ノ浦の戦いにて三種の神器と共に
8歳にて海へ沈んだ天皇。
安徳天皇の異母弟にあたります。

院政を敷く祖父、後白河法皇の元、
4歳で天皇即位。
とはいえ、その頃、
安徳天皇も天皇であったため、
2年間ほど、二人の天皇が存在ていました。

時代は平家が栄華を誇り、
その平家も源氏に敗れ、
鎌倉幕府が成立。
源頼朝亡き後、北条氏が実験を握り、
武家の時代へ。

それまで天皇家にあった利権等、
ことごとく鎌倉幕府に握られてしまいます。

朝廷の復権を目指して蜂起したのが承久の乱。
敗れた後鳥羽上皇(当時)。
隠岐へ流されてしまいます。

都へ戻る願い。
最後まで実らず。
隠岐の島の海士町で最後を迎えました。

後鳥羽天皇の火葬が行われた火葬塚。
現在も残っており、
火葬塚が残る地に建立されたのが隠岐神社。
というわけです。

後鳥羽天皇火葬塚へのアプローチ
火葬塚紋には菊御紋

近年、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿」。
見られた方には、
時代背景など、よく理解できると思います。

鎌倉にある頼朝公の墓案内版
頼朝公の墓

後鳥羽天皇を祀る隠岐神社

後鳥羽天皇は文武両道に秀でた天皇。
新古今和歌集の編纂を指示他、
自ら刀を創る等、
多岐の才能をお持ちであった天皇です。

思いかなわず隠岐の島へ流された後も、
多くの歌を詠まれています。

後鳥羽上皇が歌に詠んだ池が残ってます

この時代を境に、朝廷の時代から武家の世に。
それは江戸幕府が滅亡するまで、
約600年続くことになるのです。

日本の歴史の転換点。
その時、天皇として、
または上皇として政治に携わった後鳥羽天皇。

なのですが、
火葬塚はあれど、
神社が出来たのは1937年という近代。
それが私にはとても不思議に思えます。

隠岐神社自体はとても立派な神社です。
新しい神社とはいえ、
とても凛とした気。
天皇家の神社という雰囲気です。

今は宮内庁管理


隠岐神社狛犬
隠岐神社狛犬 隠岐独特です

ただ、気になったこと。
しめ縄の形状が出雲大社風であること。
神紋が菊の紋でなかったこと。

隠岐神社神紋 菊なんですが・・・少し変わった菊

その辺りが気になり調べた結果。
皇室の菊御紋。
なんと、後鳥羽天皇が起源だという説。

刀好きであった後鳥羽天皇。
製作された刀に菊の印を入れさせた。
これが皇室の菊御紋の起源。
隠岐神社のFBに書いてました。

800年 後鳥羽天皇の墓を守る村上家

いろいろ神社巡れば、疑問が生まれ、
調べて行くと、また新たな発見。
だからと言って、
なにか得するわけではないですが、
とても面白いのです。

今回の海士町訪問。
次なる目的地である西の島へ渡る船の時間。
迫っているので限られた時間でした。

効率よく回るためにタクシーを使いました。
地元のドライバーさん。
いろいろな情報を教えてくれます。

後鳥羽天皇が無くなられ、
都からは忘れられ。
火葬塚だけが残されました。
今でこそ、隠岐神社がありますが、

無くなられてから今の今も。
その墓を守り続けている家があるのです。

流された後鳥羽上皇が暮らした場所です

隠岐の島の海士町。
隠岐神社からすぐ近く。
昔から存在する村上家。

代々当主は助九郎を襲名。
現在のご当主は48代目。

なんと、タクシードライバーさんのおかげで、
村上助九郎さんとお話ができました。

今でもほぼ毎日、火葬塚の管理をされています。

今も墓を守る第48代 村上助九郎さんと

実は私、
タクシーの運転手さんに教えてもらうまで、
後鳥羽天皇が存命の時は、近くでお世話。
無くなられてから800年近く。
お墓を守って来た一族があること。
知りませんでした。

また、その一族の48代目当主の方に、
お会いできるという偶然。
隠岐神社よりも、感動しました。

無くなられてから800年ですよ。
すごい忠誠心です。

島の権力者であった村上家。
鎌倉幕府より、後鳥羽上皇の世話を頼まれ、

後鳥羽さんが来たら、お茶を出せ。
そう家人に伝えられていたそうです。

お茶に加え、朝夕二回の食事。
夜は一般島民にすれば贅沢な食事。
用意しなければならず、
後鳥羽上皇が隠岐に流されてから
無くなられるまでの18年間。
家人の御苦労は大変だったはず。

後鳥羽上皇は、
文武に優れた雅な人物。
都から遠くに流され、
雅な生活とはほど遠い生活。

時にイライラも募り、
そんな歌も残されてますが、
お傍で世話する村上家。
細やかな配慮が求められていたでしょう。

存命中に限らず、
無くなられてから800年。
墓を守り続ける村上家の忠誠心。
繰り返しになりますが、
素晴らしいなんて言葉では表せない。
心からの尊敬に値します。

宇受賀命神社へも是非

今日は、承久の乱にて、
鎌倉幕府に敗れ、
日本の天皇でもあった後鳥羽上皇。
不遇にも、
最後の18年間を過ごした隠岐の海士町。
今もその地にある後鳥羽天皇の火葬塚。
火葬塚の隣に近年建てられた隠岐神社。

ご紹介させていただきました。

海士町を訪れたら、
同じ島内にある宇受賀命(うずがめ)神社。
こちらも隠岐固有の神様名です。
も、是非、行ってみてください。
個人的に好きな神社です。

宇受賀命神社 出雲の神社という感じ

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