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隠岐西の島にある焼火神社の祀神は大日孁貴 そこから考えた阿波との繋がり

トップ写真 巌の中に建てられた焼火神社本殿


災い転じてタクシー見つかる

隠岐の島とは、
大きく島前と島後に分かれ、
島前は、中の島、西の島、知夫里島。
三つの島で構成されています。
他、180ほどの小島。

前回は西の島にて自転車が故障。
仕方ないので、港近くで見つけた黒木神社へ。
後醍醐天皇がいらっしゃった御所跡。
ご紹介させていただきました。

黒木神社参拝後、帰りのフェリーの時間まで、
約2時間半程残っておりました。

西の島へ到着した時は空車がなかったタクシー。
観光協会さんへ、
「もう一度、タクシー聞いてもらえますか?」
タクシーの空車確認を依頼。

奇跡的に一台の空車が見つかり、
港まで迎えに来てもらえました。

なにがなんでも焼火神社となりました

タクシーの運転手さんへ。
残りの時間で西の島の名所でおススメ。
連れて行ってほしいと依頼。

すると、運転手さん。
「焼火神社(たくひ)は行かれましたか?」
聞いて来たので、

「自転車では遠いのと、
自転車降りても登山しないといけないので、
時間的に、今回は諦めてました。」
私が答えると、

運転手さん。
なにがなんでも焼火神社を推して来ます。(笑)

「時間的に大丈夫ですか?」

船の時間が気になって聞いてみると、
「大丈夫です。」
自信満々に答える運転手さん。

それならば、行ってみよう。
と、いうことで、
今回は諦めていた焼火神社へ向かいました。

細い山道を抜けて、
辿り着いたのが参道入口。

焼火神社参道入口
参道入口の案内板

そこにタクシーを停めて、
そこからは歩きです。

参道入口には竹の杖。
ご自由にお使いください。
と、書いてある。

いや~な予感。
だいたいこのパターン。
けっこうハードな登り道。
ブログ読んでくださっている方なら、
私が山登りが苦手なこと。
ご存知ですよね。(笑)

しかしながら、
ここまで来た以上、登るしかない。
竹の杖を拝借。
意を決して登り始めました。

タクシーの運転手さんに助けられ

ありがたかったのは、
タクシー運転手さん。
一緒に登ってくれたこと。

私より少し上くらいの年齢。
地元出身で都会へ出てたがUターン。
都会ではビジネスマンだったのか、
なにかと政治経済ネタに詳しい方でした。

杖なしのタクシーの運転手さん。
すいすいと登って行く。
杖が頼りの私。
それでも、足がついて来ず、
途中、二度ほど休憩。
ようやく、石段ではない緩やかな参道。

延々と石段 左は道祖神
鳥居からは緩やかな道 草むらマムシ注意

ほっとしたのも束の間。
「ここからはマムシに気を付けてください。」

運転手さんは以前マムシに嚙まれてるようで、
血清が効かない。
そんな話を聞いて、更にビビりました。

途中、広い敷地に立派な建物。
そこは社務所。
残念ながら写真が無くなっており、
載せられないですが、
かなり広い建物でした。

一年に一度の龍火祭の時は、
1000人程の人が火を抱えて、
この社務所にたむろするそうです。
1000人収容できる程の広さがあります。

焼火神社の見どころと由緒

社務所を横目に進むと現れたのが社殿。
拝殿も立派なのですが、
本殿は、巌の中に建てられています。
山肌の巨大な岩のくぼみにご本殿。
どうやって建てたのか。
不思議に思えるほど。

拝殿前の大杉
拝殿と本殿の位置関係が変わってます

焼火神社の社殿。
隠岐で最も古い建築と言われています。
たしか1700年代建築。

しかもその建築方法。
大阪で木を製材。
それを隠岐へ輸送。
組み立ては米子の大工さん。
日本初のプレハブ建築?
とても珍しい社殿です。

神社の由緒は、
その昔、海中から3つの火が浮き上がり、
現在、社殿がある巌へおさまった。
そこに祠を建ててお祀りしたのが起源。

元々は神社というより寺の管理。
焼火山雲上寺の焼火社と呼ばれていた。
明治に入り、神仏分離が行われ、
焼火神社と呼ばれるようになりました。

その際、寺の管理から、
松浦氏が宮司となり、
現在も松浦氏が焼火神社を守っておられます。

祀神 大日孁貴から繋がる阿波

祀神は、大日孁貴(おおひるめのむち)。
つまり、天照大御神様です。

大変興味深いのが、
天照大御神ではなく、大日孁貴として
お祀りされていること。

しばらく、
古事記阿波説から離れておりますが、
以前、ご紹介した徳島にある重要な神社。

天岩戸分八倉比売神社。
こちらの祀神も大日孁貴。
阿波説では天照大御神であり、
卑弥呼と同一人物。
そんな説が一般的。

阿波 天岩戸別八倉比米神社由緒

奥宮には五角形の石で組まれた祭壇。
その下一帯が古墳となっており、
大日孁貴の墓と言われています。

大日孁貴の墓なのか 強烈なパワースポット

話を焼火神社に戻すと、
起源は海から浮き上がった3つの光(火)。

それがいつしか、
大日孁貴、天手力雄命、万幡豊秋津媛命。
三柱の神をお祀りするようになり、

そして今は、大日孁貴だけを祀っている。

焼火神社がどのような経緯で今に至るのか。
とても興味深いのですが、
今のところ謎です。

ただ、もし古事記阿波説を元に推理するなら、
阿波から遠く離れた隠岐の西の島。
こちらへ、大日孁貴信仰をもたらしたのは。
阿波人であったのではないか。
祀神名から、そう考えることもできるかな?

もう一つ、
隠岐の島、島後にあった水若酢神社。
こちらは代々、忌部氏が管理している。
やはり、阿波勢力の進出があった?
なんてことを妄想する。
それも神社巡りの楽しみなのです。

自然美のカルデラも見事

タクシーの運転手さんのおかげで、
拝殿に上がらせていただけました。
心を込めて感謝をお伝えして下山。

焼火神社拝殿内から本殿方面

焼火神社周辺、
500万年前の噴火でできたカルデラ。
現在、カルデラが海になっています。
そんな珍しい景色。
見に行くのも西の島の楽しみです。

500万年前の噴火によりできたカルデラの島
壮大な自然美 観音岩と国賀神社鳥居 時間なく参拝できず

今日は焼火神社へお参りして、
阿波との繋がりを感じたお話でした。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。



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