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伊勢神宮に現存する八咫鏡の製作地はどこか

トップ写真 八咫鏡製作に呼ばれた天津麻羅を祀る立岩神社


三種の神器 八咫鏡

元伊勢。または高天原シリーズ。
今日は三種の神器のひとつ。
八咫鏡について。

天皇陛下が皇位継承される際、
代々受け継がれてきた三種の神器。

天叢雲剣。(あめのむらくものつるぎ)
八尺瓊勾玉。(やさかにのまがたま)
八咫鏡。(やたのかがみ)

天叢雲に関しては、
以前、天叢雲神社について書きました。
天叢雲を冠する式内社としては、
阿波にのみ存在する神社です。

そして今日は八咫鏡について。


またまた天の岩戸神話から


素戔嗚の高天原での狼藉により、
岩戸にお隠れになった天照大御神。

アメノウズメが神懸かりして踊り、
その様子を見た八百万の神々は大笑い。

日の神である私(天照)が岩戸に隠れて、
世は真っ暗になっているのに、
外は賑やかに楽しそう。

外の様子が気になった天照大御神。
岩戸を少し開き、外の様子を伺います。

そこへアメノウズメが登場。
天照大御神は、
どうしてそんなに賑やかなのか?
私が居ないのに・・・。

そんなことをアメノウズメにお尋ねになります。

それに対して、アメノウズメ。
あなた様より尊い神様が現れました。
それでお祝いをしています。

そんなニュアンスの返答を返します。

私より尊い神???
不思議に思った天照大御神。
その神を見ようと少し岩戸から顔を覗かせます。

そこでアメノウズメは
持っていた鏡に、天照大御神のお顔を映します。
鏡に映った自分の顔を見た天照大御神。
???
その一瞬の隙に、
タジカラオが、
天照大御神を岩戸の外へ引き出します。

アメノフトダマが岩戸に注連縄を張り、
もう岩戸にはお戻りになれません。

そう天照大御神に伝え、
天照は復活し、この世に明るさが戻りました。
めでたし、めでたし。

そんなお話ですね。

天の岩戸神話の舞台か 天の元山
天照大御神がお隠れになった岩戸か 天岩戸立岩神社

神話の中の八咫鏡が現存する不思議


この岩戸神話の中、
アメノウズメが天照大御神に向けた鏡。
それこそが八咫鏡なのです。

天の岩戸神話に残る神事。
この神事を執り行うにあたり、
新しく作られたのが、この八咫鏡。

古事記には鍛人を呼び寄せたと書かれています。

呼び寄せられた鍛人は天津麻羅(あまつまら)。
そして、イシコリドメノミコトが鏡を制作。

その鏡が、
代々の天皇の皇位継承により引き継がれ、
今も尚、伊勢神宮に残されている。

本当にすごいことですね。

伊勢神宮内宮

私は、子供のころの紙芝居にて、
天の岩戸神話を知りました。
その頃の認識として、
と、いうか、
大人になっても、神話なので、
作り話だと思い込んでいました。

それなのに、八咫鏡他、
三種の神器が現存するという不思議。
(叢雲剣については壇ノ浦で海に沈んだ説)

どう理解すればよいものか?
思案に苦しむので、深く考えんとこ。
そんな感じでした。
おそらく多くの日本人が同じ感覚だと思います。

八咫鏡 誰がどこで製作したのか


しかしですよ。
もし古事記が実話を元に書かれているとしたら。

そのストーリーに書かれた場所が残っている。

例えば、
天の岩戸神事が行われたかもしれない場所。
少し前に紹介した天岩戸立岩神社。
(徳島県神山町)

天の岩戸立岩神社

鍛人であった天津麻羅を呼び寄せたのなら、
そんなに遠い場所から呼ぶわけはなく。
さほど遠くない場所に、
痕跡は残っているはずです。実話ならね。

前置き長くなりました。(笑)

今日、ご紹介する神社。
山方比古神社と境内社の立岩神社。
神山町の陰石がご神体の立岩神社ではなく、
徳島市八多町に隣接する立岩神社。

そして式内社である山方比古神社があるのは、
徳島市多家良町(たから)字金谷。

ここ金谷は、
古来、銅の精錬、鋳造所。製鉄所がありました。
製鉄所を意味するたたら跡も残されています。

立岩神社は離れた場所にあります わかりにくいので注意

明治時代まで、
この多家良町には製鉄集団が居住。
今でも村の祭りでは、
たたら音頭が踊られています。

式内社の山方比古神社。
氏子の主力であっただろう、
製鉄集団が居なくなり、
本当に細々とその存在を保っている。
そんな印象。

延喜式内社 山方比古神社(金山神社)
金山神社由緒

一方、境内社の立岩神社。
と、いっても山の中の古代遺跡みたいなご神体。
八咫鏡を作るために呼び寄せられた神様。
天津麻羅を祀っています。

立岩神社由緒 錆びているが迫力ある

錆びた由緒看板には日本一の陽根石(男性)
と書かれているとおり、
見事な陽石が角度60度でそびえ立っています。

山の中です すごい雰囲気
伝わりますか このご神体の迫力 天津麻羅を祀る
大きさ伝わりますか ご神体の下に書き手

古代はなによりも生命が尊かった。
天の岩戸比定地の立岩神社の巨大陰石。
天津麻羅の根拠地の立岩神社の巨大陽石。

それぞれのご神体から、
強く感じ受けることができます。

貴重な遺跡を後世へ残してほしい


地元の方たちは、
昔からそこにある物として、
特別なものとは認識せずに、
たたら跡や巨大ご神体を捉えているので、
その歴史的価値については無頓着なのでしょう。

ひょっとして、
私の中ではかなりの確率で、
ここ山方比古神社周辺のたたら跡は、
天照大御神の八咫鏡が制作された場所。

なのですが、その管理のお粗末な事は残念です。
是非とも行政の力で、後の世に繋いでほしい。
節にそう思います。

今日は三種の神器の八咫鏡。
作られたかもしれない場所。
山方比古神社と立岩神社について書きました。

カーブミラー目印 下に小さな看板 見過ごします ここ入る

古くから残る地名。
とても面白いですし、貴重ですよね。
なんらかの意図はあるにせよ、
地名は継承してほしいものです。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

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