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三種の神器 天村雲の剣 天村雲命を祀る唯一の天村雲神社
頂いたコメントから
前回のブログは、いくつかの阿波説について。
古代史の闇に陥らないための注意点。
古い記録を素直に読み、記録と伝承が一致する場所を訪れる重要性。
百聞は一見に如かず。
実際に目で見て、肌で感じる重要性について書きました。
早速、読んでくださった方よりご意見を頂きました。
巨岩などの祭祀遺跡は徳島だけじゃなく、
九州や奈良にもありますよ。
そんなメールでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1700209940555-TCh5Wx1yqF.jpg?width=800)
古代史の比定地論争があり、
ご自身の考えと違う主張を徹底的にネット上で攻撃する。
そんなやり取りが存在することを知っていたので、
あえて、このnoteはコメントを公開せぬ設定にしています。
(でもコメントすれば、メールでこちらには届きます。)
今回、コメントくださった方は、
『全国どこを回ってみても、これほど条件揃ったところはないでしょう。』
と書いたことに対して、コメントくださったのでしょう。
御親切にありがとうございます。
全国を回って行き着いた場所
実は私、まあまあ神社好きのおやじです。
これまで日本全国47都道府県他離島の神社遺跡を巡って来ました。
当然、九州も、古事記から神功皇后伝承が残るエリア等。
何度も訪れています。対馬、壱岐へも。(ここ面白いです)
私が居住する関西エリアである奈良県もです。
![](https://assets.st-note.com/img/1700210136513-49Ym3PhwCm.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1700210154832-2aP6UTwoc9.jpg?width=800)
そして最後に行き着いたというより、飛ばされた場所が徳島。
最初は何の知識も無かった所から、あれ?おかしいぞ。
これまで信じていた記紀神話の話と全然違う。
疑問に思って、いろいろ本を読み、現地へ赴き、
感じたこと、思ったことを書かせていただいてます。
その地へ行かなければ分からない事
前回のブログで伝えたかったこと。
要約すると、百聞は一見に如かず。
なのです。
徳島県全域にわたり、散らばっている式内社。
多くが徳島にのみ祀られる神。
どこでも掘れば何か出る。(笑)
くらい遺跡や古墳が全域に渡って存在する。
一か所から数か所あるのとは次元が違うのです。
そして、それぞれに伝承が残っており、
記紀神話に書かれているストーリーと、
登場する神々を祀っている神社の場所が合致する。
と、いうことは・・・
実話であったということか。
欠史8代の天皇他、記紀神話の痕跡を長期間において残す場所。
私は全国各地へ行きましたが、今のところ徳島ダントツなのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1700210382895-HrmbCt7ffG.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1700210455899-rNEl7Rjbge.jpg?width=800)
少しでも古代史好きの方へ情報を届けられたら。
そんな思いから、少しずつ小出しですが、
訪れた神社遺跡をストーリーと共にご紹介している次第。
百聞は一見に如かずですが、
たぶん、一年かかっても終わらないほどのポイントがあるのです。
天村雲神社 式内社
はい、そんな中から今日は、天村雲神社(あめのむらくも)。
天皇家に伝わる三種の神器の一つ。
天村雲を冠に持つ式内社です。
ヤマトタケルノ命が草に火を付け、天村雲の剣を振ると、
周りに火が広がり、敵から逃げることができた。
この時から草薙の剣とも呼ばれるようになりましたが、
元は天村雲の剣。
![](https://assets.st-note.com/img/1700210740716-3uO7G6ur8b.jpg?width=800)
ご祭神はアメノムラクモノミコトと后神イジハヤヒメ。
こちらも式内社としては全国一社のみ存在。
近くには、全国忌部系神社の総本山的存在である、
山崎忌部神社があります。
天皇即位の大嘗祭の際、あらたえを織る場所であり、
織りあがったあらたえは、山崎忌部神社から大嘗殿へ届けられる。
天村雲神社は忌部神社の摂社。
忌部氏の役割はすごかった
忌部神社の神官は忌部五雲と呼ばれ、
早雲・村雲・岩雲・花雲・飛雲。家が勤めています。
この系統は、伊勢外宮禰宜の度会氏の祖先にあたります。
この事実からの推測。
日本神道は阿波から全国に広がった。
記紀に書かれる伊勢は現在の伊勢ではない。
違う場所にあったいせ。
現代からいうと元伊勢から現在の伊勢へ移されたのが伊勢神宮。
元伊勢についてはまた後日書きますね。
![](https://assets.st-note.com/img/1700211296547-EauYBeZ1xr.jpg?width=800)
いずれにせよ、全国唯一の式内社である天村雲神社。
徳島に存在するということは、
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治(治水工事?)した地もまた、
徳島であった可能性が高いと言えますね。
そして忌部氏は麻や穀を育て広める他、
鉄器の生産、武器の製造までも、担っていたと考えることができます。
記紀神話は事実を元に書かれた
現在、天村雲神社は二社あります。
どちらかが本物というわけでなく、上宮と下宮と捉えた方が良いとは、
歴史学者の主張です。
私は二つの天村雲神社へお参りさせていただきましたので、
二社ともに写真載せておきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1700210864437-XghBXAomRO.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1700210886995-zhQSXzcPN1.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1700210917453-MXeFwqlqaX.jpg?width=800)
忌部神社を中心に、今回の天村雲神社他、
記紀の話を裏付ける祭神を祀る古社。
たくさん残っています。
道を走っていても、どれだけ神社があるのか。
神社密度が濃いエリア。
まさに点が線となる。
ストーリー付けて、またご紹介させていただきます。
今日は三種の神器のひとつ。
天村雲の剣に関する神社でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1700210952690-1GwtceIOpf.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1700210979245-UiD0STYyAD.jpg?width=800)
まとめ
徳島には重要だけど、
皆さんに知られていない(隠された)神社がたくさんあります。
後の世に作ったのではなく、式内社として。
多くが改ざんされた資料の中、信憑性が高い延喜式神名帳。
かなり説得力が増すのではないでしょうか。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
隠国とされた徳島は皆様の知らないことだらけ。
遊びに来てくださいね。
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