![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124349382/rectangle_large_type_2_c1011f9255bb6a22e4946e414fdc0dd0.jpeg?width=800)
元伊勢説 嵯峨天一神社の大白星神
トップ写真は伊勢 伊雑宮
嵯峨天一神社の大白星神
前回ご紹介した天一神社。
伊勢神宮でのエピソードからも
ただの田舎の神社ではない。
私はそう思っているのですが、
延喜式式内社としての登録はありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1702369505895-fAwTlF8ade.jpg?width=800)
しかしながら、
かなり古くから存在する古社。
祀られている神様が、
天照大御神。(アマテラスオオミカミ)
月読命。(ツクヨミノミコト)
大白星神。(ヒトヨメグリと読むらしい)
気になるのが大白星神。
初めて耳にする神様です。
今日は、
『記紀の説話は阿波に実在した』
高木隆弘著 たま出版。
からの情報を元に
お伝えさせていただきます。
天一神の別名が大白星神。
神道大辞典からの情報のようです。
が、それ以外、
確実な情報がない神様のようです。
他の項では断言調で書かれている
著者の高木さんですが、
大白星神については推測調。
八倉比売神社(後日書きます)や、
天岩戸分神社にある五角形の石組。
![](https://assets.st-note.com/img/1702369031680-pW3vob8zM8.jpg?width=800)
これらが大白星神を現わしているのだろうか。
と、珍しく推測の域。
大五角星のぎょしゃ座は、
海人族、農耕民族両方から
崇敬されていたそうです。
他、天一神について。
方位の神。
天女の化身。
天神の最貴なる青龍。
神道大辞典には、
そう記されているようです。
いずれにせよ、
天一神社の第三祀神である大白星神。
別名、天一神。
他では聞くことがない神様。
ですが、とても重要な神様なのではないか。
天一と太一
高木さん著の本から、
そう感じたお話を紹介します。
現在の伊勢神宮。
伊雑宮で行われる御田植の神事。
太一と書かれた大きなうちわを持ち、
太一と書かれた法被を着用します。
伊雑宮の御田植祭り。
私は行ったことあるのですが、
残念ながら写真見つからず。
すみません。
記憶では、
棒倒しみたいなことしてたような。
![](https://assets.st-note.com/img/1702369188012-tXNunqJeoD.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1702369118500-plRsJvV3Qb.jpg?width=800)
杣始の神事。
式年遷宮に使われる、
樹齢300年ほどの木。
伐採する前に、山に入り行う神事。
その際にも、
太一と書いたのぼりが挙げられ、
遷宮御用材には太一が刻印されます。
![](https://assets.st-note.com/img/1702369135791-cYtknzlA92.jpg?width=800)
太一は、天照大御神を象徴するマーク。
そして、
伊勢神宮で使われる太一。
天一神社祀神である天一神の天一。
これは同一の神。
天地全ての至高神。
太一、天一は、
天照大御神の象徴として使われている。
本文抜出だと長くなるので、
少し要約させていただきましたが、
だいたいそんな内容。
これもまた凄いお話ですよね。
改めて書きますが、
徳島県佐那河内村にある嵯峨天一神社。
天照大御神、月読命、天一神(大白星神)。
三柱をお祀りしている。
天下の伊勢神宮。
天照大御神を筆頭にお祀りする神道のトップ。
その神聖な神事にて、
徳島県の田舎にある神社の冠が使われている。
天一と太一。
少々の違いはありますが、
太の(、)が、上の一に移って太→天。
なので、同じであるそうです。
太一(天一)は、
天照大御神の象徴として使用されているのです。
伊勢から来たのか 阿波から行ったのか
全国各地に、
天照大御神をお祀りする神社は数あれど、
天一神を同時にお祀りする神社。
どれほどあるでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1702369281319-Ld01PJ8MyA.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1702369304507-4qrsGdjCtV.jpg?width=800)
無知な私は最初、
天照大御神と月読命に注目。
天一神については、
マイナーな神様。
知らんな!
そんな失礼な気持ちで参拝してました。
大変、申し訳ない話です。
全国的に見ても稀有な神社。
伊勢で継承されている貴重な神事。
どう考えても、
伊勢から佐那河内に来たとは考えにくく、
佐那河内から伊勢へ行ったのではないか。
そんな風に思えてしまう貴重な神社です。
皆様はどう思われますか。
最後に、高木さんの著書より引用。
「伊勢神宮の成立は、
大宝律令(701)の後、
高天原の所在地で、
筆者(高木さん)が天照大御神の
宮居に否定している
天一神社から分祀されて
創建されたものであり、
年代は大宮八幡神社(後日書きます)が
建立された
708年より後であると思われる。」
![](https://assets.st-note.com/img/1702370277535-1eA1DnSPlp.jpg?width=800)
めちゃくちゃ凄い事。
言い切ってます。
凄いですね~。
天一神社が天照大御神の宮居は置いといて、
私も佐那河内村は、
元伊勢にかなり近いと感じています。
少しでも、
なるほど!
と、感じていただけるように、
ここからしばらくは高天原と元伊勢。
これらに絞ってご紹介しようと思います。
今日は前回に引き続き、
嵯峨天一神社のお話でした。
前回書いた、
伊勢神宮から受けた、おもてなしの理由。
そういうことだったのか!
妙に納得のお話でした。
気に入っていただけましたら、
💛フォローいただけると励みになります。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?