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開けてはいけない? 阿波はパンドラの箱なのか

トップ写真は鳴門海峡を照らす月


徳島には何かある

全国的には有名ではないけれど、
埋もれているというか、隠されてきた徳島の歴史。
少しでも知ってもらいたい。
そんな思いからnoteを始めてここまで、
順番的にもストーリー的にもまとまりなく書いてきました。

最初のうちは、おかしなこと書くな~と、
思っておられた方も、
あれ?徳島って何かあるのかな。面白いな。
そう感じてくださっている方が増えてきたように感じます。

剣山

そこで今日は一口に阿波説と言っても、いろいろな説がある。
阿波説を理解するポイントを、
私のこれまでの経験からお伝えできればと思います。

阿波説いろいろ

阿波説にも、いろいろな考え方があります。

忌部研究

神武天皇が奈良で即位されたので、神武天皇以降の都は奈良。
忌部文化に焦点を当てて書かれている本には、
中央忌部(奈良)と阿波忌部(徳島)を分けて考えている。
中央から阿波への順番。
政治の主導は中央である奈良にあったとする説です。

神武天皇が即位したと伝わる樫原神社 徳島県

古事記研究

古事記に焦点を当てて研究されている団体は、
古事記の世界、邪馬台国(邪馬臺国 やまとこく)に絞り込んでいます。
神武天皇は、徳島から奈良へ行かれたと書かれています。
私の解釈として、そのあたりは決して触れないといった方針があるように感じます。あくまでさらっと流している印象。
実際はどのように考えておられるのか?
わかりませんが、あくまで古事記から逸脱しない方針のようにです。
主張されているポイント。
邪馬台国(邪馬臺国)は阿波にあって、卑弥呼も阿波にいた。    
古事記の話は阿波で起こった実話が題材となっている。

八倉比売神社 天照大神(卑弥呼)の塚か

阿波古代史研究とアーク説まで

古代史研究をされている団体は、
古事記の世界は阿波のお話。
古事記以降、平城京へ遷都される少し前までの都は阿波である。
学校で平城京遷都が710年と習いましたが、
その少し前までの都。すなわち天皇がいらっしゃった場所は徳島だった。
古墳時代も飛鳥時代も阿波という説。

もっと面白いのは、古事記以前まで遡り、
アーク伝説まで書かれている個人や団体もあります。

ユダヤ伝承遺跡 

知っているだけでも阿波説にはいくつかの団体があり、
主張が合致する部分もあれば、全く合致しない部分もあるのです。

そして私は、そんな主張が異なる書籍を読んでいるので、
全団体の主張を足し算したり、
集合ポイント見つけたり、
オリジナルポイントを探したりしています。
ご紹介する神社や遺跡に合わせて、
こんな説もあるよ~。と、お伝えしている次第。



参考文献紹介

(邪馬臺国は阿波から始まる やまと研究会、天皇即位と大嘗祭 林博章、古代史入門 藤井榮、日本より阿波ストーリーが始まります 香川宣子)



古代史の闇に落ちないために 年代


自分なりに研究してみて、整理した方が良いと思うこと。
まずは年代。神武天皇が即位されて2680年。
と言われてますが、おそらく違う(ここは改ざんされたかも)。
ただ、神武天皇即位ではなくても、2680年前、国の起こりに
関係する何かがあったのではないか。

地名に歴史学者が騙されている

次に地名や山、川、海の名表記。
現在、通説地となってしまった場所。
地名によって、後の世に、
だいたいここだろうな。
的、感覚で誰か(本居宣長)が書いた本を参考書としてしまったが故に、
現在の通説地が当てはめられてしまったのではないか。

地名だけでなく、昔は音が先で文字は後。
だから同じ音で漢字が違う表記はたくさんあります。
地名しかり、神社名や神様名しかりです。
後世に付けられた地名の場所が現在、通説となっている比定地となった。
もしくは天皇神格化に利用されたのかもしれません。

元祖 八坂神社か
祇園の地名 祇園祭 発祥の地もここ 徳島県海陽町

古い記録の信憑性


古事記においても改ざんされていると言われています。
元古事記とは大きく変えられたと。

それができた人は時の権力者であった藤原不比等。
そんな説もあります。

古事記以降に書かれた風土記(各地方の記録)。
延喜式神名帳。
残念ながら阿波風土記他、四国の風土記は消されてしまってます。

唯一の救いは延喜式神名帳。
式内社(古くから存在した記録)といわれる神社の記録は残されています。
ただ、伊弉諾神宮などは近世に式内社として加えられたそうですが、
当時あった神社を抹消した形跡はありません。

延喜式内社 御間都比古神社
御間都比古(みまつひこ)は5代考昭天皇です 欠史と言われてますが、存在が残っています

地元の伝承 遺跡

他、地元に伝わる伝承や、古い記録を裏付ける遺跡があるか。
水銀朱や金属鉱脈遺跡などは、古代の隆盛を裏付ける論拠。

残されている古代の記録書を素直に読む。
書かれている背景と一致する場所を歩いてみる。

もし、そこが真実の場所であるなら、
多くの痕跡が残っているはず。
一つ一つは小さな痕跡であっても、
そのエリア一体に広げてみれば点は線となり繋がっていく。
時の権力者によって隠蔽された歴史があったとしても、
そのすべてを消し去ることはできない。
真実は必ず現れる。

山崎忌部神社参道 立石
山崎忌部神社からの景色
すごい古墳です

究極の大人の遊び

日本史の通説を真っ向否定しているわけではなく、
実際そうなのかもしれないけど、
そうでなかったとしたら・・・。
真実はどこにあるのか?

真実を探す旅。
神社マニアの中でも、かなり上級者向けの遊び(趣味)。
新しい遊びを見つけた子供のような大人。
そんな人が増えたら良いな~。

そんな趣旨から、今日のブログ書きました。

小さくなりましたが延喜式内社 天照の八咫鏡もここで制作されたか
狛犬が外を向いている 珍しい
日本一の陽石 立岩神社
アマツマラを祀る

百聞は一見に如かず

徳島には、全国一社しか祀られていない神様を祀神とする
式内社がたくさんあります。
また多くの神社の周辺には遺跡や古墳があります。

古事記に卑弥呼に空海にアーク等々。
降って湧いた話ではなく、地元の伝承として語り継がれているのです。
裏付ける遺跡と共に。

アークをここで小さい舟に乗せ換えたといわれる
ふなはて神社と読みます

おそらく、日本全国探してみても、
これほどに条件材料揃っている場所はないでしょう。
文字で読むだけでは伝わらないこと。
実際に訪れることで一瞬で感じ取れる。
徳島はそんな場所です。
百聞は一見に如かず。

是非、徳島に遊びに来てくださいね。
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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。





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