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イザナギ大神が禊をした場所 つまり天照大御神の生誕地?

トップ写真 現在の賀志波比売神社 天照大御神の生誕地?


イザナギ大神 黄泉の国から脱出


noteに書いて来たブログ。
ここしばらくは、阿波を離れてました。

古代日本の中心は阿波説。
そんな内容を楽しみに読んでくださってた皆様。
大変お待たせしました。(笑)
今日からまた、阿波中心に書こうと思います。

本日のテーマ。

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原。

古事記に詳しい方なら、
イザナギ大神が、
死んだ妻のイザナミに会うため、
死者の国である黄泉の国を訪れたお話。
ご存知かと思います。

死者の国の食べ物を食べたイザナミは、
恐ろしい姿に変わっていました。

黄泉の国で変わり果てた妻イザナミを見たイザナギ

変わり果てたイザナミの姿を見たイザナギ。
恐ろしくなって、黄泉の国から逃げ出します。

逃げるイザナギを、
黄泉の国の者とイザナミが追ってきます。

イザナギの逃亡の過程で、いろいろありますが、
そこは省略。

ようやく、逃げとおしたイザナギ。
死者の国の穢れを落とすために禊を行いました。

イザナギが禊を行った場所。
それが、
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原。
と、古事記に書かれています。

この時のイザナギの禊から、複数の神様が誕生。
その中でも、特に貴重な神様。

それが、
天照大御神、素戔嗚尊、月読命の三貴神。

イザナギの禊から三貴神誕生

簡単に、そんなお話です。


イザナギ大神が禊をした場所


では、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原はどこ?

通説では、
九州の宮崎ということでまとまっています。

その根拠はというと、
筑紫は九州のこと。
日向とは宮崎県。
よって、宮崎県というのが日本国民が、
なんとなく、そうなんや~。
と、信じている通説地。

通説イザナギ禊の地 江田神社 宮崎県
江田神社にある禊池

他に福岡説もあります。

ところが、
阿波には、違った説が存在します。

度々、引用させていただいている、
『邪馬壹国は阿波から始まる』
やまと研究会さんの書籍によると、

古事記には、
竺紫の日向の橘の小門と書かれている。

同じ古事記の国生みの箇所には、
九州を筑紫国と書いている。

竺紫と筑紫。
明らかに書き換えられている。

と、いうことは、
竺紫は、九州のことではない。

では、竺紫の日向とはどこなのでしょう?

同じく、やまと研究会さんからの引用。

神武天皇が畿内へ入るまでの最東端は四国。
竺紫(ツクシ)とは、つきるという意味。

日向とは、
ヒムカ、ヒムカシ、ヒンガシ、ヒガシと、
変化した言葉で東という意味。

以上の論拠から、
竺紫の日向とは、東に尽きた所。

要するに、
四国の最東端に位置する現在の阿南市。
阿南市にある橘湾周辺こそ、
イザナギが禊を行った有力な場所と考えられる。

阿波説イザナギ禊の地の近くの海岸

そのように書かれております。

予備知識がない方が、
いきなり、ここだけ読むと、
かなりビックリされるかと思います。


裏付けとなる橘湾周辺の神社と他の説


私が、この説が面白いと思うポイント。
イザナギ大神の最後の地は淡路島にある伊弉諾神宮。

淡路島 伊弉諾神宮

宮崎から淡路島へ帰ったと考えるより、現実的。

その他、
橘湾周辺には、
イザナギの禊により生まれた神様。
あまり知られていない12神。

その中でもオキツカヒペラ神。
こちらの神様をお祀りする神社。
日本全国の神社の中で、
橘湾に浮かぶ伊島の當所神社しかありません。
(私は行ったことありません)

イザナミ大神が禊祓いをした時、
沖に投げつけた手飾りから現れた神様。
橘湾に浮かぶ伊島に祀られている。
偶然にしては出来過ぎたお話だと思いませんか。

賀志波比売を祀る津乃峰神社から 左上辺りが伊島


他、都市伝説的なお話として、
阿波には、こんな説もあります。

『日本からあわストーリーが始まります
 香川宣子著』には、

古代イスラエルから、
アーク他、財宝を積んだタルシン船。
辿り着いたのが橘湾。

津乃峰神社にあった七福神?

その船に乗って橘湾に辿り着いたのが三貴神。
ちょうど、禊をしていたイザナギと合流。

イザナギは最初に日本へ到着していたユダヤ人。

そんな面白いお話もあります。
詳しくは書籍で。


延喜式内社 賀志波比売神社


いずれにしても、
イザナギ大神が禊を行った場所。
それは、徳島県の阿南市にある橘湾周辺。

この辺りに残る式内社に、
賀志波比売神社があります。

賀志波比売神社 拝殿 神紋は三宝の形


イザナギ大神が禊をしたとされる場所近く、
細々と賀志波売神はお祀りされているのです。
(現在は津乃峰山頂で立派に祀られてます)

現在 賀志波比売を祀る津乃峰神社

賀志波比売神とは、
天照大御神の幼名と考えられる。
(やまと研究会さんの本より)

その根拠として、
賀志波(かしわ)。

以前、
ご紹介した天岩戸別八倉比売神社の神紋も柏。
(八倉比売は天照大御神)

天岩戸別八倉比売神社 神紋

伊勢神宮の本宮も柏本宮。

皇室の神事には、
ひらでという柏の葉で作られた皿が使われる。

神社参拝の折の二拍手を柏手を打つという。

以上のようなことから、
天照大御神の幼名を賀志波比売(かしわひめ)。
と考えることは、無理のないことと考える。

やまと研究会さんは述べておられます。

(やまと研究会さんの本は、こちらから買えます。)
↓ ↓ ↓

まとめ

今日は、久しぶりに阿波のお話を書きました。
実際に私は、
賀志波比売神社の元社を訪れました。

大きな看板もなく、
見過ごして通り過ぎてしまったほど、
神社がある場所とは思えない場所です。

見過ごしてしまった案内

昔は海であった場所。
今は陸となり、国道が走っています。

時代の変遷と共に、
色あせてしまった本当の歴史。
かも?しれない場所。
そこには、
天照大御神の生誕地と書かれた看板と石碑。

阿波古事記研究会さん看板
禊の地の地図
石碑が寂しい

それにしては、寂しい社殿。
なんとも言えない気持ちになりました。
参拝されると感じていただけるかな?

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。


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