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人生に意味はない。

こんなこと言ってしまうと、反発する意見があると思うけど。

人は、意味を見出したがります。

生きている意味を。

けどね。

マジで、意味なんてないですよ。

何を隠そう、私自身が人よりも「生きる意味」を探して10年以上藻搔いてきた人間です。

いや〜、疲弊しました。
その間の人生を、浪費しました。

挙げ句の果てに、人生を終えそうになりました。
大きな、バイクでの交通事故で。
それについては、またの機会に書きます。

とにかく、人は意味を作りたがります。

けど、これは脳の作りがそうだから。

過去の記憶の中から、フィードバックを繰り返して無意識に、◯◯は良いこと、◯◯は悪いこと、という様にずーっとジャッジを繰り返しています。

これは、生命を守るために起きてるんですけど、厄介なんですね〜。


脳は本来自分という生命体を満たそうとして機能してるのに、子供の頃の記憶だったり、間違った親や周りの価値観がインストールされてしまった脳はその通りに「反応」してしまうから。


自分を満たすことではなくて「正しさ」という、自分の思考回路のパターンが出来てしまいます。


生まれたばかりの赤ん坊は、まっさらです。

意味なんて、まだ持ってません。

例えば、目の前でコーヒーをノートPCの上に溢しても、何とも思いません。

極端なことを言いと、目の前で人が死んでも何も思いません。

「嫌なこと」が起きた、という認識が無いんです。

そこに反応が起きないんです。


善悪の二元論が、インストールされていません。


育つ過程の脳が成長するタイミングで、

ジュースを溢した

大好きなお母さんに怒られた

なんだか居心地が悪い

これは悪いことだ

という様に、情報がインストールされていくんです。


そうして、出来上がったのが『私』という、記憶の集まり。

何か出来事があると、反応をする。


先ほどの例で言うと、目の前でノートPCにコーヒーを溢した瞬間に「うわっ!最悪だ」と、反射的に反応する。

『私』という記憶媒体は、良い悪いのジャッジを常に持っている。

だから、嫌なことは体験したくない。
良いことは体験したい。

結果的に、嫌なことを避けて、良いことを求めるようになった。

ここに、執着や悩みの元があります。


さらに生命を維持する為に、人間はネガティブな情報の方に対しての方が強く反応する様になっています。

野生動物のシマウマが今、目の前に美味しい牧草が生えていても、ライオンが近くに居たら逃げることを優先するのと同じように。

嫌なことの方が、強く反応してしまいがちなんです。

しかし、、

しかしですよ?

その、良い悪いの内容って、、
ホント?

誰が決めたの?

自分で決めたことじゃないんのでは??

育つ過程で、親や、学校の先生、偉いと言われる人たちなどが言ってきた、ごもっともらしい言い分なのでは?

実は、いつの間にか身に付いたこの「正しさ」が自分を締め付けて、鳥かごの中に自分を閉じ込めることになります。

心は求めてるのに、頭が止める。

人生は思っているよりも短い。

いつか、と思っていると、いつの間にか出来ない環境になっているかも。

歳を負うごとに、その「意味」は何重にも重なり、強固になっていきます。

氣づくことです。

頭で考えないことです。

頭で考える行為は、過去作られた鳥かごに引き戻す行為です。

無条件。

本当は、何がしたい?

本当は、誰といたい?

きっと、分かっていても行動に移す時に出て来ることがあります。

「恐れ」です。

しかし、その恐れも過去のフィードバックに対する、反応でしかないのです。

頭で考えれば、考えるほど、恐れという反応は出てきます。

そして、今までの環境である鳥かごに引き戻します。

その考える事から抜ける為には、、


感じることです。


大自然の風景や、空、草木の匂い、肌に触れる風、愛する人に触れる感覚や声など。


ブルース・リーの名言

Don’t think, Feel
考えるな、感じろ

まさに、これです。

頭で意味を考えないことです。


だって、意味なんてないんです。

世界側に、意味はありますか?

意味を作っているのは、いつだって「私」なんです。


この宇宙、この自然界は、意味なんて持たずにパーフェクトな循環を繰り返しています。


そう、


意味なんてない!!

んです。


いつでも、このゼロ地点に戻ったら軽く明るくなれるよ。

ここから、好きに創作していったらいい。

もっと、自分という尊い存在は、可能性でしかないんだから。





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