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「夏のお嬢さん」 榊原郁恵

「中学生のある日でした 部屋の片隅に立てかけた
フォークギターを握りしめ 初めてできたFのコード
それまで聞いてたピンクレディー まったく聞かなくなりました

郁恵ちゃんのポスターも アリスのカレンダーになりました
かぐや姫から長渕と 千春を過ぎて さだまさし
なんだか寂しい歌ばかり でも心は慰められました」
 鈴木幹作詞の「フォークの塊」の一節である。

https://youtu.be/K9SDByhIB6E?si=Ck9W6YQ_LQCN18hi

 この一節を見て共感を覚える元フォーク少年は多いのではないだろうか。
 小学生の頃は野球やサッカーをして泥だらけになって遊び、女の子と遊ぶ奴は軟弱と言われたが、中学生になると急に異性に目覚め始め、アイドルやグラビアなどを気にするようになる。もちろん、同級生の女の子にも目が行くようになって、あんなに嫌だった女の子と無性に遊びたくなる。ま、これは自我意識の目覚めによる健康的な成長であるから何の問題もないわけで、アタシもしっかりとこのレールに乗った。だから、「フォークの塊」を1ミリもずれることなく体験した一人だ。

 アタシが中学生になった1977年、女性トップアイドルといえばピンクレディーとキャンディーズだった。キャンディーズは翌年の解散を発表し、「普通の女の子」になるために最後の輝きを放っていた。もちろん山口百恵や岩崎宏美といったアイドルもいたが、中学生の私の目に飛び込んできたのは、デビュー間もない榊原郁恵だった。あの健康的な存在感。マジな色っぽさを強調するピンクレディーよりも健康的な色気を出していた郁恵ちゃんの方が入りやすかったのか。
 それからは、ピンクレディーよりも新人の郁恵ちゃんを応援する毎日。買ったこともない「明星」や「平凡」という雑誌を見てはニヤニヤ。レコードを購入し、ポスターを部屋に貼り、親からは「色気づいて!」と言われる。
 火が点いてしまった中坊は、ファーストコンサートや遊園地の営業(今は無き戸塚ドリームランド!)、シングル「夏のお嬢さん」発表記念イベント(田園コロシアム)まで行きまくっていた。そういえば、ファーストコンサートでは握手会にも参加し、小さくて柔らかい手だったなぁなんて思う日々・・・。
ただ、歌についていうと、音楽性は何にも感じていなかったのよね。郁恵ちゃんの歌って普通なんだよ。インパクトがあるのって「夏のお嬢さん」(1978)くらいでしょ。

 あと、松本隆作詞、筒美京平作曲の「ROBOT」(1980)ってのがあって、ちょっとヒットしたけど、その頃はもう気に留めてなかったしね・・・。
 歌だって抜群に上手いわけでもないし、下手でもない(でも、デビュー当時の松田聖子よりは上手かったと思うよ。聖子は高音が大抵フラットしてたからね)。

 アタシに転機が訪れるのは「夏のお嬢さん」が流行っていた夏休みに親戚の家に遊びに行った時。親戚のチエちゃんからよしだたくろうやかぐや姫のレコードを渡された時からガラリと変わったんだよね。
「郁恵ちゃんのポスターがアリスのカレンダーになりました」の歌のとおりになってしまったのだよ。

「拓郎、浜省、甲斐バンドが 俺にハガネを入れました
つまらんことは気にするな 真っ直ぐ歩いていけばいい』(「フォークの塊」2番の歌詞)
の通り、ニューミュージック全盛の中にあって、高校生で「人生」や「虚しさ」なんて大人な言葉を多用した歌などに感化されてしまう純粋な青年になっていったのだよ。
世間の矛盾を感じ始め、失恋を経験し…ああ、青春の蹉跌!

 同時にボブ・ディランやビートルズ、ストーンズといった洋楽教科書的なアプローチからジャズ、ブルースなんて音楽を聞きかじるようになると、女性アイドルなんて追いかける暇なんてなくなるわけで・・・そういえば、あの時以降は女性アイドルを追いかける、という気持ちになったことが無いね。
 当時は松田聖子、中森明菜、小泉今日子、松本伊代などアイドル全盛で、友達はワイワイ騒いでいたけど、アタシは一切目もくれなかった。
「人生」とか「虚しさ」なんてワードはアイドルの歌には無いんだよ。
だからと言っちゃなんだけど、やたらと大人な本や大人な映画を観る日々。
友達が「聖子の『プルメリアの伝説 天国のキッス』という映画を観に行こう!」なんて騒いでいる時に、アタシはatg作品の『祭りの準備』とか『青春の殺人者』とか、果てはロマンポルノに通う日々。
 思春期の健全な成長なのかどうかは疑わしいが、アイドル歌謡には共感できなかったアタシは、軽音楽に共感し、そっち方面にシフトチェンジし、アイドルも女ではなく、男のミュージシャンになっただけ。

 アイドルのメルヘンチックな歌詞よりも情念や人生論、果てはディランの歌詞のような哲学的な内容(はっきり言って何言ってるかわからない)ばかり聞いていると、こりゃ所詮童貞ではわかるわけないわな、なんて思ったりして。だから、郁恵ちゃんのようなアイドルは手の届かない存在なんだから、それよりも身近にいる女性が気になるのも自然な流れ。当時は今のように会いに行き、話しかけることができるアイドルはいなかったし…。

 大学生になり、彼女と郁恵ちゃんの舞台「ピーター・パン」を見に行った。
郁恵ちゃんは、渡辺徹と結婚も決まり、7年続いた最後のピーター・パン公演だった。
郁恵ちゃんが空を飛んでいるところを見ていたら、なんだか、妙な気分になってしまって・・・初恋の人と別れる感じだったのかね、あれは。

 今、郁恵ちゃんをテレビで見ても、何とも思わないんだけど、娘に「ママは郁恵ちゃんに似てるね。雰囲気かなぁ・・・」なんて呟かれた時はちょっと焦ったりもして。
確かに屈託のない笑顔は、どことなく似ているかもしれない。

やっぱり、アタシにとって郁恵ちゃんは、永遠の夏のお嬢さんなんだろうね。

2020/7/2
花形

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