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『ブラッド・ライン』 喜納昌吉&チャンプルーズ

 先日、生で三線(さんしん)を聴いた。沖縄料理屋で飲んでいるとき、常連のお客さんが唄を4曲ほど披露してくれたのだ。僕は、あんなに小さなボディからエッジのたった音が出たことに正直驚いた。そして今までテレビやライブで聴いていた音は、マイクやミキサーを通して調整された音だから、かなりフラットな音を聴いていたのだ、と妙に納得してしまった。音量もかなり大きかったが、耳障りな音ではなく、それはむしろ彼の歌う島唄に溶け込みながら非常に心地よい時間を僕らに与えてくれた。
狭い沖縄料理屋には大きな海原と南の島が現れ、優しい時間が流れていった。

 その地に生きる唄は魂を持ち、その魂を心に持ち続け歌い継がれることが郷土の唄となる。
沖縄の郷土魂を表現し、世界へその先鞭をつけた代表的なロックアーティストは、喜納昌吉&チャンプルーズだろう。細野晴臣や久保田麻琴と夕焼け楽団はいち早く沖縄音楽を紹介した功労者だが、世界へ向けて発信したのは喜納昌吉をおいて他はいない。

 『ブラッド・ライン』(1980)は、のちに商業的に成功した「花」を収録したアルバムである。「花」のもつ平和を望む意志に人々は共感し、多くのアーティストがカバーした。沖縄のアーティストが登場するイベントの最後には必ずこの唄が歌われ、幸せの花をいつかみんなで咲かせようと合唱する。
 この唄の持つパワーは日本を越え、アメリカ、インドネシア、タイ、中国などでも大ヒットした。
 沖縄の音楽に傾倒したライ・クーダーや矢野顕子も参加したこのアルバムは、日本のネイティブロックの代表作といってもいい。

 僕は1度だけ喜納昌吉&チャンプルーズのコンサートに行ったことがある。中野サンプラザという比較的大きな会場で観たのだが、満員の会場は異様な雰囲気に包まれていた。コンサートが始まると全員総立ちというより、総踊り状態となった。沖縄の特有な腕をゆっくり左右にふりながらリズムに合わせる踊りを延々行なう。僕は会場の真ん中に居たが、リズムと踊りに囲まれ、いつの間にかみんなと同じ踊りを踊っていた。
 激しいリズムを全身に浴び、こぶしを突き上げるコンサートは幾度も経験してきたが、みんなでひとつになって踊ることは初体験であり、ちょっと異様な雰囲気であった。しかし、そこに違和感は無く、ネイティブ・ビートに抱かれている感覚が全身に走った。
 僕は川崎生まれなので、生まれた土地の祭や土地の唄というものになじみが無い。だからなおさら、こういった土地の歌を堂々と歌い、踊れる人に憧れを抱いてしまったのだろう。本当にコンサート開始から終了まで踊り狂うのだ。 黒人にブルーズやジャズがあり、ジャマイカにレゲェがあるように沖縄には沖縄の歌がある。その歌を喜納昌吉&チャンプルーズは熱いビートに乗せて歌う。
 沖縄の人がもつ独特の日本観は、本土にいる我々には理解できないところだ。それは侵略された歴史、戦争に巻き込まれた歴史(唯一太平洋戦争の中、日本で地上戦が行なわれた場所)・・・。
戦争によって引き裂かれた土地。戦争終了後、27年もの間アメリカだった場所。悲喜こもごも至る。
 『ブラッド・ライン』は、喜納昌吉が被差別にある人々と連帯し、彼らの精神文化にこそ世界を救うメソッドがあると訴える。
今の時代、日本も世界も不安定である。こんな時代にこそ喜納昌吉&チャンプルーズにもう少しライトを当てて欲しいと思う今日この頃である。


2006年6月20日
花形

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