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新発田城『シャチホコ』

今回の記事について 過去二つの記事で新発田城について調べ、それら以外にも新発田城の特徴的なところについて発信したいことあるのでそれを伝えていく。 新発田城について 新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。 新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんとつ

    • 新発田城『海鼠壁』

      今回の記事について 前回の記事で新発田城の切込はぎ以外にも特徴的な技術が使われているのでそれを伝えていきます。 新発田城について 新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。 新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。 新発田城にはとても特徴的な模様の壁が土蔵に施されています。それについて今回

      • 新発田城の「切込はぎ」

        今回の記事の目的大学生として、新発田に暮らすようになった私ヌマが、新発田に住むようになり住んでいる地域のことを何も知らない恥ずかしい人間だったので今回、新発田城を新発田で過ごすことが増えて気になったので、新発田城のことについて調べて、深掘りしそして今回学んだことを読者の方に伝えられたらとおもいます。 新発田城について 新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しまし

        • 新発田寺町通り

          新発田寺町通り 新発田市でここ2〜3年コロナによる影響でできていませんでしたが今年久しぶりに行われた寺町通りで行われる寺びらきに参加させてもらいました。 寺びらきでボランティアをさせてもらったことで寺町通りに興味を持ち今回調べさせていただきました。 寺町通りの歴史とは 寺町通りが歴史的に有名なのは戊辰戦争時に新発田藩が小さく長岡藩や会津藩の尻に敷かれていた状態でした。そして新発田藩は戦闘が続くにつれて劣勢であった会津藩や長岡藩の入っていた旧幕府側についていました。しか

        新発田城『シャチホコ』