07:ゲイのおじさんが40歳で女友達と結婚して子供を作り、ゲイを隠さないまま暮らしているという話・蘇った修行の記憶

カンジからの相談によって、思い出すことになったお見合いの記憶。
そうだ、僕は30代に1回だけお見合いをしたんだった。

とある事情で僕は30代で浄土宗の僧侶の免許を取得しなければならなくなりました。

実家がお寺ではないいわゆる在家だった僕は、とあるお寺を守るために尼である後の師匠の元に籍をおき、6年間の期間をかけて僧侶の資格を取得した。僧侶の資格は教員免許に似ていて、年に2度京都の本山で開催される1週間程度の検定講習会に規定数参加、最後に加行と呼ばれる約1ヶ月にわたる修行に参加し、僧侶としての資格と名前をもらうことができるのです。

僕の師匠となる人は高齢の尼さんで京都の小さなお寺を一人で守っていた。90近くになる師匠はハキハキした元気で明るい人柄で、おばあちゃんのいなかった僕にとっては親しみの持てる存在であった。師弟制度が主流である仏教会では、師匠が弟子の世話(資格の為の諸々の手配や、資格取得後のお寺や生活面等)をするという風習が残っていた。あくまでもお寺を守るための資格取得だったので、都心での仕事は継続する予定でしたが、師匠は独身だった僕の将来の生活面をいつも気にしていました。

検定講習を終えた僕は、とある冬の日最後の加行の参加準備を進めていました。長期休暇に入るために仕事を全て終わらせ、規定通り0.5㎜に剃髪した。

「檀家さんにいい娘さんがおるから、下山時にお見合いをセットしといたよ」

いよいよ入山、といったタイミングで師匠から話があった。

「え??お願いしてないですけど??」

「いいんじゃ、いいんじゃ。わしが死ぬ前に一度だけ会っておくれ。嫌ならすぐに断ってもらって構わんよ。」

「いや、、、、そうことではなくて、、、」

年度によっては途中でリタイア者が出るほど過酷な加行。とにかくその行へ参加するための予習や復習などに集中していた僕は、師匠の勢いに押され気づけば生半可な「YES」を出してしまいました。

加行は思った以上に過酷なものでした。底冷えする冬の京都。約1ヶ月の間暖房器具の無い寺で常に監視の目が光る中、自由時間が一切無い規律に則った修行を行いました。食事は精進料理、冷え切った身体を保つために期間中は入浴は無し(火傷をしてしまうため)。早く行が終わらないかな、後何日で下山できるんだろう、日々心待ちに過ごし迎えた最終日、晴々しく門をくぐり、いざ下山!というその時。

「おめでとう、よう頑張ったね。」

師匠が目の前にいました。

そしてその横に1組の家族が。

え、もしかして??そうか、加行があまりに過酷ですっかり忘れていた。
例のお見合いは今日実行されるのか。。。

「さあ、さあ、お見合会場へ参りましょう」

修行時に着用する略衣から晴れて法衣と袈裟を身につけたその日、訳のわからぬまま用意されたタクシーに乗り、お見合い会場のホテルへ直行しました。


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