鯨骨生物群集【エッセイ】
普段、たいしたものではありませんが、詩や小説を書いています。
先日もnoteに『骨が腐るまで』という掌編小説を投稿しましたが、作品のモチーフとして「骨」を使うのが好きです。
私にとって「骨」とは、生物の成れの果てであり、私も必ず辿り着くものであって、そこに哀愁や逆に生を感じたりします。
あと恐竜や化石には浪漫がありますね。
先日、淀川に迷い込んだ鯨が海へと還りました。
その関連のツイートの中で「鯨骨生物群集」という言葉を知りました。
鯨が死んで死体が沈んだら、そこに鮫やエビなんかが群がって、最終的に菌類の住処になるみたいです。
深海では移動能力が低い生物も多く、その生物群集は閉鎖的であるらしい。
(あくまでも私の解釈です。)
私は家族が大好きなので、骨になっても墓の下で家族と一緒がいいと思っていましたが、こうやって生命の苗床になるのも、なんだか素敵に思えました。
私の骨を苗床に、また生命が芽吹いて、周り巡ってまた誰かの生命を繋ぐ。
仏教では魂は輪廻すると言いますが、もしかしたら身体もそうなのかも。
私の身体を構成する元素も、その昔大海原を泳ぐ鯨だったのかもしれない。
鯨骨生物群集という言葉を知って、そんな取り留めのないことを考えた午後でした。
Twitterでは、これを題材に詩を書いてみました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます(*´`)
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