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1999年から2003年までの阪神タイガース その⑨

甲子園は球場の中だけでなく、駅を降りた瞬間からドラマがあった。

まずダフ屋。
ライトあるよ〜
余ってたら買うよ〜

アンスリー前にいつもいるおばちゃんは常連とも仲が良かった。
いつもアイスを食べながら通路のフェンスにもたれ、
常連とグダグダ喋りながら笑っていた。
世の中の厳しさや楽しさを高校生の僕にいつも話してくれた。
戦争で孤児となった方だった。
生きていくのに苦労をしたと話していた。

一人、ダフ屋に鈴木その子に似た真っ白なおばちゃんがいてね。
あれはメイクじゃなくペンキだとみんなで揶揄していた。
このおばちゃんは、長居公園でも見た事がある。
若い頃はトルコ風呂でモテたと話していた。

知らない街で知らないおばちゃんにこういう事を言われると嘘になるが、
甲子園の登場人物がこれを言うと「ガチ」だ。

予想屋もいた。
自転車に大きな旗を掲げ、ラジオを大音量で流すおじさん。
まるで「紙芝居のおっさん」だ。
12球団の試合状況をカンペに書いて教えてくれる。
SNSが無かったこの時代。
発言は胡散臭かったが、
他球団の試合状況はいつもこの人が教えてくれた。
甲子園のフードは焼き鳥のサザエが好きだと話していた。

過去にも書いたが駐車場入り口の前でいつも入り待ちをしているおばちゃんもいた。
選手のナンバープレートと車種、
ファンサービスをしてくれる選手も全て把握していた。
警備員より詳しいんだ。

星野伸之さんはいつも車の窓を開けて握手をしてくれる。
トレードで来た西川選手は笑顔で手を振ってくれる。
いつも選手と無邪気に会話をするんだ。このおばちゃんは。

「おばちゃん、お疲れ様!」
「いつもありがとう!嬉しいで!」
「体調良くなったか?」
「綺麗になったんちゃう?笑」

おばちゃんはファンとも仲良しでね。
試合はあまり見ない。
甲子園に来て人と話すだけで元気になれると話していた。
一度食事に誘った事があったけど、
夕飯の支度があると言って来れなかった。

理由があって旦那さんのいない家庭だった。
生きていくのがとても辛いと話していた。

このおばちゃんは2003年のフィーバーで姿を消した。
ファンが増え、警備員が増え、入り待ちが禁止になったんだ。

タイガースを生きがいとしていたのは僕だけではない。
甲子園に来ると生きている事を実感した。
誰とも背比べをしない。学や職など関係無い。
みんながタイガースを愛していた。
みんなが笑顔になれる世界がここにあった。

何が言いたいかって?
「マナー」「常識」でガチガチに固められた野球場って面白いか?
なんで「あと一人コール」に問題があるんだよ。
「エール交換」過度にして楽しいか?
時代が変わり、ファンが変わり、甲子園から姿を消した人間は本当に多い。

「蛍の光歌いません」
「頑張れ阪神そーれいけいけ」
「T-WAVE」
「我らの阪神」
「立ち応援がどうのこうの」

酷いなほんと。
マジでヤジを飛ばす人って少なくなったよね。

今の阪神は十分強い。強すぎる。
万年最下位だった時代があるの知ってる?
何が不満なんだよ。

トラキチの
胃薬効果
レッドスター

2001年オフにデイリーモバイルに掲載された僕の川柳。
本当にそう思わない?

続く

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