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公平感と特別感は両立する?~後輩との対話から~

 とあるサークルが終わった後でした。
「ちょっとご相談があるのですが…」
と後輩に言われて駐車場でしばらく話こみました。

ある子への「特別な」カード

 後輩のクラスに在籍する、ちょっと気になるA君。そのA君との関わりを太くしようと、そしてA君の良さを伝えようと、後輩はA君に向けてメッセージカードを送っていました。
 一言添えて渡していたこのカード。A君自身もとてもうれしかったよう。このカードの存在だけではないのでしょうが、このカード使い始めてからA君の気になる行動はあまり目立たなくなってきたとのことでした。

他の子からの「私も」

 A君とのやりとりで用いていたカードの存在が、学級の他の子にもわかり、「私も」という要望があったようです。そこで後輩が私に質問してきたのは
「全員を毎日は厳しい。先生だったらどのように全体に広げますか」
でした。
 話を聞いていた私がまず後輩に返したのは
「A君の特別感はどうしますか?」
という言葉です。後輩の言葉のニュアンスから
・Aくんだけを特別扱いしてはいけないのではないか。
・全員に公平にしなくてはいけないのではないか
という思いを感じ取ったからです。後輩は「ハッ」とした表情を一瞬浮かべましたが、その後はっきりと
「A君への特別感は残したい」
と答えました。
 そこで、後輩と一緒にA君に特別感を感じさせながら他の子ども達にも公平感を感じさせるカードの渡し方について考えることにしました。

教師の負担も考えつつ

 先ほども書いた通り、30人程度の学級で毎日一人ずつメッセージを書くのはかなりハードな作業。後輩にどれくらいの人数ならできるのかと尋ねると「3~4人」という回答。後輩の学級にはグループが存在するそうで、そのグループごとに回していけば良いのではということになりました。
 渡し方としては、
・帰りの会でわたす(これはその日にわたせる)
・朝来たら机の上に貼ってある(これだと書く時間の確保が容易)
・連絡帳に貼る
・その子の傍に行って順次渡していく
などいろいろありますが、それは後輩が目の前の子ども達と、そして自身の時間的余裕、精選的余裕を考えながら取捨選択していけばよいこと。2人でいくつも案を出し、選択肢が増えたことで話を終えました。

特別感の演出

 では、A君の特別感は。子ども達は実に鋭いもので「私も」と言っているうちはまだよいかと思うのですが、「A君だけずるい」「先生はえこひいきしている」という段階にくるとこれはネガティビティバイアスがかかってきて大変なことに。
 そこで私から他の子に分からないように(もしかしたらわかるかもしれませんが)かつA君に確実に渡せる手段として
・連絡帳に挟む(貼る)
・ノートに挟む(貼る)
を伝えました。一日のうちに何かしらのノートを回収するでしょう。そのノートにさりげなく挟むのです。
 そしてもし可能なら
・Aくんだけみんなより多く・・・
・Aくんだけ特別よ
という声掛けをこそっと耳元で言ってあげてね、と伝えました。「だけ」といいうことば、我々大人も弱いですね(笑)

 公平感と特別感、どちらもという発想

 後輩からは
「どちらもという発想はありませんでした。」
と言われました。他の子が「私も」と言ってきたら担任としては「公平感」を大事にしたいところ。しかし後輩から時折A君の話を聞いていた私は、メッセージカードがA君の承認欲求を満たす、素敵なツールになっているのではないかと感じました。
 もちろん最終的にはカードなんてなくてもという状態が理想なのかもしれませんが、Aくんにとって今はその時ではないと感じました。
 A君かみんなか、ではなく、A君もみんなも。一人の子の特別感とみんなへの公平感は両立するのだと私は思っています。
 同時に、私もふくめ、人は承認欲求をもっています。それを満たすのが学級経営の最も基本的な部分と考えています。
 承認欲求を満たしているかどうか、その視点で手立てを見ていくと、最適解が見つかるのかもしれません。


 



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