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こころグラグラ

「生きるとは信じること」と教えられる。
全人類は例外なく「信心」を持って生きている。
「信心」とは何も宗教に限った話ではない。
私たちは毎日毎日、瞬間瞬間、何かを信じることで生きている。

お金は人々が皆、その価値を信じているからこそ機能している。
学校が爆発しないと信じているから登校できる。
授業の内容が正しいと信じているから学ぶ気持ちにもなる。
出された食べ物に毒が入っていないと信じるから餓死しないで済む。
眠ったら誰かに殺されるということはないと信じるから眠ることができる。
明日も生きていられると信じるから今安心して(見せかけだが)いられる。
大切なものがあるから、いてくれるから、希望として当て力にできるから、多少辛いことがあっても自殺しないで生きてきている。

このように、生活と信心は切り離すことのできないものだ。
そして、私たちは何かを信じるときに安心や満足、幸せを感じる。
だから、幸せになりたいと思ったら、注目すべき点が二つある。

①信じる対象
②信じる心

「信心」とは、「心で信じる」ことである。
本当の安心満足、変わらない幸せになるには、

変わらない対象を変わらない心で信じなければならない。

しかし、私たちの心はどうだろう。
まったく固定不変のものではなく、コロコロと変わり続けてしまう、非常に不安定なものなのである。こんなグラグラと揺れる不安定な心で何かを信じようとしても(当て力に、頼みにしようとしても)、到底続くものではない。いつか必ず崩れてしまう。裏切られてしまう。信心が定まる(決定する)、ということがないのだ。さらに信心は、対象を信じていればいるほどに、崩れた時に深く傷を負う。私たちの信心は時限爆弾のようなもので、こんな実態を持っているから、心の奥底を蝕む不安は、なくなることがない。

ではどうすればこの問題を解決し、絶対的な幸せになれるのか。
それを教えられたのがお釈迦様であり、親鸞聖人なのである。

これは、聞かねば!!


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