トム

日々の気づきや学びを投稿します。 仏教学んでます。

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マガジン

  • 明日へのヒント(閃光のハサウェイ)

    • 77本

    気づいたこと・学んだこと・考えたことを共有しています。

最近の記事

劇的パラダイムシフト

七つの習慣の中に重要な概念として、「パラダイム」という単語が出てきます。 ・・・なんぞや? 人は皆、一人一人がパラダイムを持っており、 それぞれのパラダイムを通して、現実を解釈しているようです。 そして、私たちの態度や行動を決定するのは、このパラダイムであると。 ですので、パラダイムが個人に与える影響は絶大です。 その人の内的世界を作り出していると言っても、過言ではないかもしれません。 七つの習慣の中で非常に重視されている概念であり、 行動や態度を「葉っぱ」だ

    • 誰でもできる、どん底から抜け出す方法

      忍耐はすべての道を通す 仏教講師、菊谷先生の動画で学んだお言葉です。 人生には、すこぶる順調な時もあれば、 何もかもがうまくいかず、 人生、思い通りにはいかないことだらけだと、 知らされる時もあります。 そんな逆境に立った時、人は、焦ります。 しかし、この焦りという感情はとても危ないものです。 焦っている時、冷静さは消え失せ、 ろくなことを考えません。 どんな恐ろしいことでも思い、 それによってどれほど恐ろしい結果が身に返ってくるか、 頭によぎりさえし

      • 健康になりたい!

        明るく楽しく生きていく上で、健康ってかかせませんよね。 昨今は健康ブームだとも聞きます。 ですが、どんなに「健康って素敵だよね、健康になりたい!」 と思っていても、健康を賛美しているだけでは、健康になれません。 実際に運動や、食生活の見直しとか、睡眠の改善など、 行動を起こさないといけないのですが、 いざ「やろう!」と、一歩踏み出してみると、 めんどくさくて気が引けてしまったり、 なかなか続かないことって、ないでしょうか。 そんな悩みに助け立ちしてくれそうな

        • 形に囚われては...

          何か目的を果たそうとする時、 そこには必ず手段が必要になります。 目的と手段は、切っても切り離せない関係です。 しかし思えば、そもそも手段とは目的から生まれてくるものです。 形だけの手段に囚われて、 「自分は〇〇をやっているから大丈夫だろう」 と安心してしまうのは、とてもまずいことであると、 このごろ思うのです。 こんな時はそもそも、 目的が一体なんなのか、 抜け落ちてしまっていたり、 思考が停止してしまっているものです。 目的の抜け落ちた形だけの手段

        劇的パラダイムシフト

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        • 明日へのヒント(閃光のハサウェイ)
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          note再開します

          ご縁あって、noteを再開することになりました。 これから定期的に、日々学んだこと、感じたこと、気づきなどを、投稿していきます。 なかなかどうして何かを継続するというのは大変難しいことなのですが、 「まいたタネは絶対に生える」ことを心にかけて、 なんとか続けていけたらと思います。 ところで、noteを再開することになったのもご縁によるものなのですが、 この頃ご縁のありがたさに触れることが多くなってきたように感じます。 今自分が受けている結果は、それのみに注目する

          note再開します

          帰省と別れ

          休みに帰省して家族と過ごしていると、なんてことはない日々に、幸せを感じる。 (心の底からではないにしても)素でいられるし、気張る必要なしに一緒にいたいと思えるし、なんだか楽しいし、安心する。猫も可愛い。 しかし大学に通わせてもらうために、一人暮らしをしている身。 住処に帰る時がやってくる。 一人の時間もかなり好きだし、家族と過ごすことも良いことばかりではないのだが、 それでもその時がくると、「もう一日だけ伸ばそうかな..」とか思ったりする。しかしきっとこの「もう一日」にはキリ

          帰省と別れ

          足りない、足りない、まだ足りない。

          自分の欲望を満たすことばかりに時間を使っていると、「時間飢餓」なるものに陥ってしまうらしい。この状態になってしまうと、いくら時間があっても時間が足りないように思い、「もっともっと」と時間を平らげてしまう。 去年の夏休みの自分は、まさに時間飢餓状態に陥った、餓鬼界の住人であった。 当時所属していたサークルも、コロナが拡大していたために活動がほぼ休止状態。なにもすることがなかった。唯一持っていた大量の時間は、怠惰に消費されることとなった。朝10時過ぎに起き、スマホを眺め、ゲームを

          足りない、足りない、まだ足りない。

          分からない

          仏法を聞いて法の鏡に照らされると、自分の力では知り得なかった自分の姿が知らされる。 だが、法を聞いたうえで自分の心を見つめてみても、 どこまで自分の慢心が混じっているのか分からない。 いや、全てなのかもしれない。 分析できていると自分では思っていても、それすら慢心で。 上の文章を書いている自分の心も慢心していて。 このループは永遠に続くのであって、 やはり自分鏡では真実の自己を知ることはできないのだろう。 真実の自己を知るには、法によるしかないことが、知らされる。

          分からない

          こころグラグラ

          「生きるとは信じること」と教えられる。 全人類は例外なく「信心」を持って生きている。 「信心」とは何も宗教に限った話ではない。 私たちは毎日毎日、瞬間瞬間、何かを信じることで生きている。 お金は人々が皆、その価値を信じているからこそ機能している。 学校が爆発しないと信じているから登校できる。 授業の内容が正しいと信じているから学ぶ気持ちにもなる。 出された食べ物に毒が入っていないと信じるから餓死しないで済む。 眠ったら誰かに殺されるということはないと信じるから眠ることができ

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          こころグルグル

          夏になったら冬がいいなと思い、 冬になったら夏を求め、 家系ラーメンを食べた直後は「もう絶対来るもんか」と思っても 少し時間が経てばまた食べたくなるし、 テスト週間になれば、「なんでもっと前から勉強してこなかったんだ 次こそは計画的に取り組むぞ」と決意しても、 次のテスト週間ではまた同じことを決意している。 これらはわかりやすいのだけれども、 一見外見が違うことでも、心はずっと同じことを繰り返している。 「あの坂を越えたなら幸せになれる」と思って坂を登り、 「隣の青い芝に行け

          こころグルグル

          こころコロコロ

          常に動き回り、変化し続け、止まることを知らず、掴み所のない自分の心。 「こころ」の語源はコロコロ変わるところにあるというお話には、 まさにピッタリな代物。 1日に八億四千回も(それくらいたくさん)動き回ると教えられる心の動きは、 とても全て追うことはできないし、 発見できないこともあるし、 観察できても、不可解で規則性も 見出せないことも多々あるのだが、 一つ知らされてきたことがある。それは、 目的を見失っているときは心に元気がないことが多く、逆に目的を意識できていると

          こころコロコロ

          もう戻れないのだから

          人生の結末には絶対的な暗闇(後生の一大事)が待ちかまえています。 そんな状態で現在をどれだけ明るくしようとしても、焼け石に水でしかありません。 今を本当に明るくするには、未来が絶対的に明るくならなければならない。 この事実が知らされた以上、娑婆世界に引き返すことなど、できません。 それならば、自分ではわからぬ絶対の幸福への道、 教えに従うしかないのに、 煩悩と無知がそれを邪魔します。 「めんどくさい」 「理解できない」 「辛い」 「恥ずかしい」 「怖い」 「本

          もう戻れないのだから