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こころグルグル

夏になったら冬がいいなと思い、
冬になったら夏を求め、
家系ラーメンを食べた直後は「もう絶対来るもんか」と思っても
少し時間が経てばまた食べたくなるし、
テスト週間になれば、「なんでもっと前から勉強してこなかったんだ
次こそは計画的に取り組むぞ」と決意しても、
次のテスト週間ではまた同じことを決意している。
これらはわかりやすいのだけれども、
一見外見が違うことでも、心はずっと同じことを繰り返している。
「あの坂を越えたなら幸せになれる」と思って坂を登り、
「隣の青い芝に行けたなら」と思って垣根を飛び越えようとするのだが、
どんなにそれらの見掛けが違っても、やっていることは同じ。
ゴール(本当の幸せ)に到達することなく、
永遠に同じことを繰り返す。
この事実が眼前と知らされるものであるのであれば、
危機感を覚えて焦りでもするようなのであれば、
少しは解決の糸口も見えるのかもしれないが、
残念ながらそんな感情が湧いてこない。
全く呑気で、鈍感で、学ばない心だ。

こんな自分だ。これまで相当流転してきたのだろう。
この輪廻からは、普通に考えると抜け出せる気がしない。
自分の力、では。

そんなことを頭の表面では考えているのに、
心の底では慢心していて、
その気になればなんとかできる、と思っている。
それゆえに、阿弥陀仏の無条件の救いを疑い、
自分の力を往生の足しにしようとしてしまう。
足しになると思ってしまう。
自分の力でこそ達成しようと思ってしまう。

だが、阿弥陀仏の本願は、
こんな本性を見抜かれた上で建てられたのだと教えられる。

自分の力では間に合わなかったと知らされ、
阿弥陀仏の救いが本当に無条件であったと知らされるその時まで、
求め抜かせていただきたい。
どうか、命が尽きてしまう前に。


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