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悲しすぎる実話 7

私たちの特殊な世界での常識は世間には出ない事ばかりだ。

つまりは心の奥底ではそれが恥ずべき事だと、知っている事になる。

私は長男の長男として生まれた。その為、避難される事は無かったが、何かと奴らに都合の良いように使われた。弟は幼い頃から一切親戚との縁を切った状態だったが、何でも私に押し付ける日々は続いたが、こいつらは滅ぶべき一族だと思い続けていた。

私の親族は基本的に裕福な人が殆どだ。その中の叔父の一人は会社を経営している。元々、我が一族が、一番財を成したのは、曾祖父だった。曾祖父は
父が言うには運という物がある事を認めざるを得ない程、曾祖父は運が良かったと言っていた。

それまでも裕福ではあった。ある日、両親が出掛けている時に、帆船をセールスにきた。その時点である程度の金持ちであった事が分かる。
曾祖父はその当時15歳であったが、大きな帆船を勝手に購入した。

当然、両親が帰ってきて怒られた。曾祖父はそれなら自分で稼ぐと言って、
手持ちの財から今で言う、海外などでは主流の、何があるかは分からない倉庫の買い取りを始めた。借金がある人たち等の蔵を、丸ごと買い取る商売を始めた。帆船も使って漁業も始め、どちらも大当たりして財を増やしていった。帆船も増やして港には多くの船が、漁業を中心として動きつつ、他の商売もしていった。

ある日、借金の旦那が死に、借金を返せないという夫人から蔵を丸ごと買い取った。ここがキーポイントとなった。中にはお金では手に入らないほどの貴重な木材が山となって入っていた。その多くは曾祖父の家を建てる時に使われたが、余ったものだけでも相当な財産となった。

こうして広島県でも1,2を争うほどの財を成した。
祖父はお見合いで、偉業を幾つも成した家柄の才女と結婚をした。
その家も当然、資産家であったが、一桁違うほどで600億円ほどの財のある家柄だった。大洪水が起きた時には、私財を投げ打って多くの人を助け、天皇陛下から生前、勲一等の勲章と賞状を授与し、天皇陛下の祭事にも呼ばれた程の名士であった。戦艦ヤマトの設計をした叔父はこちらの家の出であった。

我が一族は祖父の代になり、マッカーサーにより財閥解体は成されたが、現金だけでも一兆円程はあり、銀行が出来る度に、一番最初に挨拶に来ていた。その為、私の父は銀行に行ったことは生前での遺産分与の為、一度しか行った事しか無かったが、あまりの横柄ぶりに、本来はNGではあるが付き添い人であった私だけで次回からは来なくていいと言われた。

「銀行は来るものだ」と言っていた。多くの昔からの資産家が三代までしか続かないというのは、昔は相続税が7割ほど取られていた為であった。
しかも現金一括払いの為、多くの人は払えない。その為、財を売って現金にする為、更に財が減るためであった。

私の父の唯一の友人であった幼馴染は、曾祖父の家によく来ていた。そこからある資源が捨てられるのを見て、1人で商売を始めた。父の妹と結婚し、私の叔母となった。商売も現在は分からないが、我が一族が恐らくは後ろ盾となって捨てる資源を提供していたのであろう。

見る見るうちに成長してその世界では、日本一にまで会社を成長させた。大手の会社では、恐らく株式上場していない会社は、現在は従妹が社長をしているがその会社とビールのキリンくらいだと言われている。

祖父の時代には池田総理も度々訪れては、良い家だと言って欲しがったとよく父は言っていた。同じ家を建てようとしたが、希少な木材が使われていた為、日本にはもはや家を建てるほど存在しなかったと聞いている。こうして政財界とも縁を持つ事になった。

祖母の生家の一族のほうでも、ヤマトの設計者でもあった叔父は東大を主席で卒業していた為、そのコネは絶大なものであった。

当然、良く無い事も多くしていただろう。金の魔力は、愛と互角なほど強いものだからだ。

それらの過去があり、同じ思想でこれまでは続いてきた。しかし初めて、私以外に親の思想に対して反発している従妹が現れた。
彼女もまた、このような腐った思想ではいけないと勇気をもって発言した。
同じようなやり方で続くのは三代までだ。世界は成長する。当然やり方も変えねば時代についてはいけない。

そのような当たり前の事でさえ分からない人たちが、日本を動かしているのだ。当然問題になるのは当たり前の事なのだ。

そして自分をも制御できなくなっていく。明らかに悪い事を平気で出来るようになり、平然と嘘をつけるような人間へと変わっていくのだ。

それはこの世界において、殆どの人が頷くブラックな人間たちだ。
私は孤独ではあったが勝算はあった。奴らは勉強に時間を全て使い、頭の回転速度や哲学的思想などは全く無縁であり、私の父は、私の賢さと鋭さを軽視できないものだと判断していた。私は父母ともに100%信用していなかったが、私の優しさを突いて敗北に至る訳だが、その話はまだ先の話だ。

まだまだ語っておかなければならない事は沢山ある。
私の話は、最後の時まで取っておこう。全てを語り終えた時には、
誰しもが、この真実に対して何かしらの想いを馳せる事に期待する。

#未来のためにできること

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