信頼 「私」編

城戸正樹は幼馴染だった。そして彼は野球の天才だったようだ。


齢15歳。ついこの間まで義務教育を受けていた、子どもと呼ばれるべき彼が投げるボールは、高校野球ファンだけでなく、プロのスカウトや多くの異性を虜にした。


一年生で早くも甲子園に出た彼は、当然学校では超がつくほどのスーパースターで、いつも多くの人間に取り囲まれいた。


寂しくないと言えば嘘になる。それは例えるなら、自分が好きで応援していたインディーズバンドが、映画やドラマの主題歌でタイアップした曲をきっかけに有名になった時。


有名になり、多くの人に応援されて、より大きな会場でライブができるのは嬉しいけど、何か遠くに行ってしまったような、そんな喪失感を覚えるような感覚だ。


「見てろよ。俺は絶対、甲子園で1番有名な投手になる。そんで絶対にプロ野球選手になるんだ!」


小学1年生で野球を始めた時から、アイツが言い続けていることだ。それを本当に実現させたんだ。


凄いとか、才能があるとか、TVではそんなありふれた紹介をされているけど、私は知ってる。


彼の努力と挑戦と失敗、その数々を。


だから私は、凄いではなく、頑張ったねって言ってあげたかった。


アイツは今、野球に夢中で、とても忙しくて、人気者で、私に構う暇なんてないだろう。


それで良かった。アイツの邪魔になるようなことなんてしたくない。アイツの精一杯を知ってるから、私も精一杯出来ることをしよう。


TVに映るアイツは、本当に好青年という印象で、クシャッと笑う顔が、野球をしてる時の真剣な眼差しとのギャップを生んでいるのだろう。


でも本当のアイツは、短絡的で、他人に意見されるのがあまり好きじゃない。


そんな姿を知ってる私の精一杯は、待ってることだ。

そんなことは分かってた。分かってた。


だけどー。


高校ニ年生の夏、惜しくも県大会の準決勝で敗れ、甲子園には届かなかった後、アイツは急に練習をしなくなった。


元々人付き合いに関してはあまり得意では無かったアイツの周りには、成績の下落と共に人がいなくなっていった。


それでも、アイツのことを気にかけている子が1人だけいたのだ。名前は佐倉眞子。


「ちょっと眞子!!いつまで城戸のことなんて狙ってるのよ。マジでアイツはやめた方がいいって。性格が終わってるもん。」


私は佐倉さんが友達と話しているのを偶然聞いてしまったのだ。それにしても、アイツの評判はどこで聞いてもほんと酷いな。


「でも・・私、城戸君に伝えたかったんだ。応援してる人がいるってこと」


「いやいや、もう野球してないじゃん・・。野球してない城戸なんかに価値なんてないでしょ。」


ひっでえ言われよう。


でも、まだアイツの味方になってくれるような人がいるんだな。それだけで救われるんじゃないか。アイツ、言い方は悪いけどそこまで悪い奴じゃないしね。


少しだけ安心したのを後悔するくらい、次の佐倉さんの言葉が信じられなかった。


「アンタもバカねえ。アイツは性格終わってるし、坊主でゲジ眉で、ニキビがいっぱいで、よく見るとそんなにいい顔してるわけじゃないけど・・・。一年生から甲子園で有名になるような奴なのよ?プロに行けば大金稼ぎ間違い無しじゃない。」


「アンタ、そんなこと考えてたの?」


「そりゃそうよ。人生イージーモードでしょ。だから人気もなく、腐ってる今の時期に付け込むのがいいのよ。」


「計算高いわねー、まあ考えてるなら私はなんも言わないわ。」




・・・とんでもない話を聞いてしまった・・。


私に出来る精一杯は待ってること。分かってた。分かってた。


だけど、私がなんとかしないといけない。それは、彼女の真意をアイツに伝える・・なんて事では到底ない。


あの子ではないけど、アイツに野球を続けてほしいのは私だってそうだ。ずっと見てきたんだから。


あの子のやり方ではダメなんだ。アイツはもっとキツい事を言わないと。反骨精神を刺激するような事を言わないと。


そして、アイツを立ち直らせるのは・・・

私でありたかった。


どうせ今は何もしておらず、時間を持て余しているはずだ。久しぶりに、本当に久しぶりに、アイツを帰りに誘ってみよう。


教室でアイツは、相も変わらず孤立していた。だから、すんなり声をかけることができた。


「おう、お前か。何だ久しぶりに見た気がすんな。え?一緒に帰ろうって?わざわざ誘う必要もねえだろめんどくせぇ。」


悪態をつきつつも、少し嬉しそうに目を逸らし頭を掻く。変わっていない。


ただ、それはアンタを知ってる私だから通用するのであって、他の人にやったら当然嫌がられるだろう。


「で?どうすんの?帰るの?帰らないの?」


「しゃあねえなあ。」


アイツと渡り合うには、こちらもそれなりに強気で出なくてはならない。私はアイツの前でだけは、すこぶる口調が強くなるのだ。


いつもと変わらない帰り道のはずなのに、いつもと違うように感じる。いや、何か変わって欲しいと私が感じているのかもしれない。


いざ彼を前にして、私はうまく話題を見つけることができなかった。


彼は全く意に介さず、川沿いに並ぶ木々を眺めていた。


そんな彼を見て、私は話を切り出す決心をした。


「アンタさ・・最近調子どうなの?」


「調子って?なんの?」


「なんのって、そりゃ野球しかないじゃん。アンタからそれ取ったら、一体何が残るっていうのよ。」


「学校中で噂になってたんだ。今更言わなくても分かるだろ。」


「練習に出てないって噂?そりゃ聞いてるけど、私が聞きたいのはそんなことじゃないよ。」


「アンタ、野球部辞めちゃったの?」


「辞めてねえよ。」


「じゃあ何で、何で練習に行かないのさ。」


「お前には関係ねえ。」


落ち着け。落ち着け私。アイツのために、私ができることをー。


「もう辞めちまえよ。野球部。」


「は?」


「準決勝で負けたくらいで腐っちまったのか?才能ないんだよ。そんなのでこれ以上続けたって何にもならないから辞めろって言ってんだよ。」


「・・・。」


「あんなに努力したのに、とか思ってた?負けたアンタに開ける口なんてないんだよ。勝ったそいつらのがすごかったんだ。そこで折れてるなら、アンタほんとに負けになっちまうぞ。」


言った。言ってやった。

負けないで、もう一度立ち上がって。頑張れ。頑張れ。頑張れ!その一心で。


「・・・。俺はまだ、折れてねえよ。」


アイツはそうとだけ言って、早足で帰ってしまった。


次の日、アイツと話すことはなかったけど、登校中に見かけた時、アイツは野球部のカバンを背負って登校していた。


教室の方へと足を運んでみると、何やら野球部の監督と部長らしき人と話していた。アイツの表情は真剣そのものだった。


やった!アイツは野球部に戻ったのだ。どうだみたか!アンタを理解する子が横にいることに心から感謝してもいいんだぞ!


誰に言うでもなく、私は1人で浮かれていた。


時は過ぎて、三年生の夏の大会。アイツにとっての最後の大会。


アイツは優勝した。甲子園への切符を手に入れたのだ。


甲子園を決めたアイツの周りには、一年生の頃のように多くの人がいた。


私も今回ばかりは、待つことができずにアイツを帰り道に誘ったんだ。


それはもう半年以上前の話、私がアイツを叱咤したのと同じ場所だった。


「よっ!甲子園出場、おめでとう!

信じてたぜ!」


「おう・・。」


「決勝戦見に行ったよ!かっこよかったぜ。

半年前の私の叱咤が聞いたんだろうな。」


「・・・。」


私は自慢げにこう答えた。そして伝えたかったんだ。半年前言えなかった、「頑張ったね」って。


「お前さ・・・」


「ん?何だ?」


「俺が野球に戻って、甲子園を決めた途端に信じてたとか、よくもそんな手のひら返しができたもんだな。」


あ・・・あっ、・・・え?


アレ・・待って、膝が・・・。彼の顔が見えない。


え、手のひら返し?私が?え、なんで?


私はしばらく、何もできなかった。言葉を発すことも、身動きをとることも。


彼も何もしなかった。


首筋を通る汗だけが、私が生きている事を実感させてくれた。


おい私、お前なら分かるだろ?すべきことが。


行かなきゃ、ここから消えなきゃ。


そりゃそうだよ。アイツからしたら、二年ぶりくらいにあったただの幼馴染。それにボコボコに文句言われて、結果出たら手のひら返して。


最低じゃんか。私も結局、みんなと同じじゃんか。


もう彼とは話せない気がした。会えない気がした。

だから、だから最後に・・。


彼が何か言っている気がしたが、気にせずに反対方向を向いた。そして歩き出しながら、顔だけを向けて精一杯伝えたんだ。


笑いを堪えているのか、震えているのかわからないような声で。


引き攣っているのか、笑っているのかわからないような表情で。


確実に震えている右手を、震える左手で何とかかなぐり上げて。


「すまん!

確かに私最低だな

本当に申し訳ない。


甲子園・・暴れてこいよ。」


それだけ伝えて私は早足にその場を立ち去った。

そんな私とすれ違うように、彼の元へと駆け寄る女が一人。


佐藤眞子だった。


私は一瞬だけ、彼女の方へと目をやると、彼と彼女はワイワイと仲良く話し始め、眞子は彼の首元へと両腕を伸ばしていた。


私は直ぐに顔を前に向け、できるだけ歩いた。歩いて、歩いて、歩いて。遠くまで来て、途方に暮れた。


その時になって初めて、私は自分の顔を伝うものが汗とは別のものであることに気づいた。


「バカ・・・泣くなっ、泣くなっ、泣くなっ!」


どれだけこめかみに力を入れても、どれだけ歯を食いしばっても、その涙が止まることはなかった。


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その後、城戸とは一言の挨拶も交わしていない。彼を主人公に幕を開けたこの年の甲子園で、彼は肘を壊し、もう一生投げられない体になったと言う。


彼は悲劇のヒーローとして、甲子園の球史に名を刻んだのだ。


その後の特集で、彼は2年生の夏の大会準決勝で敗れた試合で、右肘の靱帯を怪我し、選手生命の危機に立たされたという。


完治まで約一年。つまり甲子園の夢を諦めれば、怪我は良くなり、彼はプロ野球を目指せた。


実際彼もそう決断したのだろう。


私が、その全てを否定したのだ。


今思えばあの叱咤の次の日、監督と部長は、彼を止めようとしていたのではないだろうか。高校生にして人生を棒に振ろうとする彼を、未来ある少年の蛮勇を。


彼は、人が変わったかのように試合に出ては投げ続け、三年の夏の大会を1人で投げ抜き、甲子園への切符を手に入れた。


その切符は片道分だけだった訳だが・・・。


私はいまだに考える、あの時声をかけなければ、言葉をもう少し選んでいれば、もっと彼に寄り添っていれば。こんなことにはならなかったのに。


それももう遅い。いつもの喧嘩だったら、いずれ仲直りできると思いながら彼に接することができた。


今回は重みが違う。私は彼の人生を壊したのだ。


結局佐倉眞子とは、どうなったんだろう。こんな時にその事を考える自分が、たまらなく嫌いだった。


もう私に次はないのだ。


私はこの出来事を胸に刻み、これから毎年夏を迎えては、自責の念に駆られる。そんな人生を過ごすのだ。


それが今の私にできる事だから。

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