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ChatGPTが浸透した未来における人間の価値とは②

③教育における、”場を共有する”重要性
既に、日本の教育会では、トップ層は、日本の選考方式から脱出し始めています。
つまり、近所の公立小学校・私立小学校に通って、SAPIXや希、浜経由で有名中学校を目指す層には、トップ層はいない。

トップ層は、そもそも小学校に通学しない、海外有名大学のオンラインコースで学ぶ、国内ないし東南アジアのインターから欧米のトップ校に向かう、という流れが出てきている。
孫正義育英財団や柳井正奨学金を見るに、桁違いの才能を秘めた子供は、そもそも日本のシステムに姿を現していません。
(孫正義育英財団等の子供の学習実績を見ると、本当に驚かされます。)
 
仮にインターなどに行けずとも、渋谷教育学園系列、広尾学園を選択する保護者が増えたのは、国内の競争に勝つことにはもはや価値はなく、やはり海外に視野が広がっている、ということなのでしょう。
 

この背景には、
①日本の教育・テストで得られる知識?というか頭の使い方?は、米中の学生と戦うには不十分・無価値
②若いころの貴重な18年という時間を、学問的知見や思考、ビジネス感覚に結び付かないつかない日本的テスト勉強に費やすのはもったいない
という感覚があるのだと思われます。
(=特段、日本的テスト勉強をしてもアカデミックな仮説検証が身に付くわけでもなく、かつテスト勉強にそれなりに時間を費やすため、プログラミングやビジネス感覚を養う時間もない、というのが実情なのでしょう)

(*テストをするなら、中国、インド、シンガポールレベルに難化させるというのもなくはないですが、そういう方向に今更切り替えるのも難しいと思います、それこそ今以上に受験が社会問題化してしまうからです。)
 


しかし、“こうした海外に目を向けた=海外に子供を脱出させる層”より下の、国内で有名中学に合格させることを目標とする親子すら、ChatGPTでアップデートされるのだと感じます。

つまり、もはや国内受験にとって価値のない小学校には行かずに、ChatGPTと対話ベースで自身の好奇心を掘り下げ、夕方以降はSAPIXに行くといった層が出現するのではないか、ということです。
 


そもそも現時点で、国内で受験をする場合でも、小学校に行く必要は皆無でしょう。
確かめてはいませんが、中学受験の場合、小学校の成績や出席数は合否に加味されず、あくまでペーパーテストの一発試験で合否が決まると思われます。
おそらく、「小学校には行かないとマズイ」という常識もあり、親は、なんとなく(場合によっては塾の息抜き)子供を公立・私立小学校に通わせている節があると思っています。


 
今までは、
・Top層:海外への脱出が前提。孫正義育英財団に入るなどしつつ、オンラインの大学の講義等で自ら学ぶ。(おそらく、いつかのタイミングで大学にすらいかないトップ層が出てきます。)
・リッチエリート層:海外への脱出が前提。ただし、孫正義育英財団等に入るほどの才能はないため、調布アメリカン、渋谷ブリティッシュ、綱町、安比高原のインターで学ぶ。
・ポピュリッチエリート層:国内エリート校への進学が前提。早期にSAPIXに入れることで、受験で有利な状況を作る。
でした。
 
が、ポピュリッチエリート層(共働きよりも、専業主夫・主婦がいる場合)の中で、
小学校に通わせずに、ChatGPt自宅学習+SAPIXで中学受験を乗り切る、というケースが増えるのではないでしょうか。
(なお個人的には、中高と比較して、小学校は、受験に縛られておらず、生活態度などを養うという意味では、価値があると思っています。)
(一方、受験の通過点という価値しかない日本の一般的な中学校・高校の教員は、もはや価値がなくなってしまう。いや、塾が出現して以降、もとからほぼ意味はなかった。たんに卒業をもらうための期間だったと思っています。)
 


かつては、先生の授業を理解して、その上で受験に臨んでいた。
その後、学校では不十分、教え方が下手、受験のプロではないため、子どもは塾をメインの学びの場としてきた。
それが今後は、ChatGPTという、対話をベースにした勉強ができるため、小学校はおろか、塾すら淘汰されかねない。
 


言われたことをミスなくこなす、パターン認識力を上げて当てはめる力を養う、という、これまでの教育では、もう通用しない状況が来ています。
ChatGPTを使いこなせる人材の方が、社会で価値ある存在となるでしょう。
 


小中高に限らず、大学すら、アルトマンのスタンフォード中退のように、最も知能の高い人材は、10代そこそこで大学院以上の勉強をChatGPT経由で行い、かつ、ビジネスにも手を出す時代に間違いなくなります。
そうなったとき、はたして、公共サービスである教育は、何を付加価値として提供するのでしょうか。
リアルな場を共有した者たちで学ぶ、という価値を改めて考え直す必要がありそうです。

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