【仕事】仕事を休むとはこれ何事か。優越感 対 罪悪感、それとも?
週末なので、ゆるく綴ります。
本当は先週も何かしらnote更新をしたかったのだけど、なかなかできず残念。
ところで覚えていますか?
数年前(もしかしたら10年前くらい?)のCMのこと。
綾瀬はるかさんが、某有名アイスにかじりつきながら、床をごろごろして過ごすシーン。
どうやら平日で、仕事を休んでるぽい。
そこで出てきた綾瀬はるかさんからの言葉、
「優越感」
とな。
当時の私にはセンセーショナルなシーン過ぎて、最初に見たとき唖然としたのをよく覚えています。
えっ、仕事休んでアイスコーン頬張って、優越感とな!
まぁ、綾瀬はるかとアイスのセットは超絶可愛いのだけど。
CMなので、それ以上の無駄な台詞もないし、与えられた情報にて視聴者がそのメッセージを受け取るってのが前提なのだけど、兎にも角にも、仕事を休んでアイスコーンを食べることが「優越感」になり得るのか、と本当にびっくりして、それ以上の思考は止まっていたはずです。
そもそも、仕事休んだ目的は何さ?
アイス食べること?
あ、逆でしょうか。
休む理由は他にあって、休んだ結果、アイスを食べることができた。
まぁどちらでも良いのだけど、綾瀬はるかのあふれんばかりの笑顔を見れば、病欠では無いのだなと思いました。
でも、ごろごろ寝転んでたから、
ワンチャン具合悪い?
、、具合悪いというか、行儀が悪い。
でも、超絶可愛いので許します。
こぼれないように召し上がってください。
当時の私は、仕事に魂を持っていかれていた側の人間でした。
でも、自覚なし。
だから、そんな体調が優れていないわけでもないのに仕事休むとかありえないという考えでした。
いや、始めからそうであったわけではなく、そうせざるを得ない教育状況の学校に配置されていたからです。
とにかく生徒に課題が多く、「子どもたちのために」を体現した教育活動を行うことが求められていました。
小さな学校だったので、みんなが同じ方向を向き、同じ価値観で進んでいたので、土日も出勤、夕方以降も(夜まで)仕事、もろもろ終わってからようやく教材研究みたいな状況は、割とスタンダードでした。
私も初年度からその環境だったので、それを標準に働きました。
だから、自分が仕事を休むなんてのは、罪悪感以外の何でもない負の感情を抱き、コロナ禍でもなんでもない時期でしたから、熱が多少あっても出勤する、みたいな鋼の肉体を持ちたいくらいでした。
(実際、発熱で出勤したらさすがに帰された)
私のようなタイプの教員が、唯一罪悪感なく仕事が休める期間があります。
それは、長期休業中です。
夏休みや冬休みは、生徒が登校しない、授業がない分、物理的にも休みを取るのが容易です。
緊急性の案件も起こりにくいので、気分的にも楽。
ただ、誤解している方もいるらしいので一応言っておくと、このような長期休業中には、授業がないことを理由に、出張や研修会、会議、課外や部活の大会、遠征、合宿などが催されやすいです。
私はそういう機会は大切にしていたし、学校という場所や教育の特異なシーズンに多少依拠する環境であることを考えると、当然なことだとも思います。
そういうのに支障がないように、自己研鑽やプライベートの充実のために、みなさんお休みを取られます。
あ、あと春休みは新年度準備でそれどころではないというのがあったな。。
逆に忙殺される。
で、このときの、誰に何の文句も言われませんよ、と浮き足立って休む日は、ちょっとした優越感に浸れます。
ただ、私のような小心者は、その優越感に浸った自分に気づいたことで罪悪感に苛まれます。
その制御が面倒くさいので、結局あまり休まず、用もないのに出勤するっていうダメなループにハマった時期さえありました。
こういう状況から一転。
子育てのフェーズに自分の身を置くと、優越感やら罪悪感の感情に振り回されなくなってしまいました。
私の考察としては、「有無を言わさず」休まないといけないからってのが大きいと思っています。
子どもの熱発は言わずもがな、とにかくそれ関係で保育園から電話が入ったり、朝の検温の時点で思わぬ高い体温に天を仰いだり、家出る寸前に吐かれてしまって、秒で職場に電話したり。
考えるいとまもないほど、
子の状況→休む
の条件反射。
パブロフの犬よろしく、世のワーキングマザーたちは、とにかくこの辺りのフローチャートを脳内に常に描いて動いているのだと思います。
皆さん、同志です。
ただ、罪悪感は時間差でやってくるのです。
あ、あの授業は◯◯先生が代わりにやってくれることになっちゃったな、とか、あの会議は欠席してしまって自分の担当のところ迷惑かけちゃったな、とか、そういうのが、子の病院から処方箋出て薬もらってホッとしたくらいでやってくる。
そういうのを極力避けるために私が心掛けていること以下2点。
・自分が対処できそうなことは人に頼まず自分で行う。
教育界においても、コロナ禍が、オンラインやリモート授業が可能になる環境整備を後押ししました。
子の病院へ行くタイミングや緊急状況の際とかぶらなければ、逆リモート授業ができます。
私(授業者)が自宅
↓
オンラインで授業配信(ライブ)
↑
生徒は教室にて個別媒体にて授業に参加
場合によっては相互の質疑応答が可
これが出来ると踏んでからは、子どもの病気や、濃厚接触者云々で出勤できないときには、このパターンを使っています。
でも弱点があって、リモートだから当然言語活動ができない。ほぼ講義メイン。
これはちゃんと対面授業でしっかり補填するしかない。
このパターンでいくと、突飛な仕事を他人に頼むという点で、相手への負荷が最低限に抑えられます。
・信頼残高を貯めておく。
こちらは、育休明けのワーママの働き方についてよく話題にあがる内容です。
普段から(子の状況が良いときをメインに)、なるべく仕事を貫徹に。
係の仕事はもちろん、他の方の仕事においても手伝えることは声をかけておく。
(やり過ぎて「これはオマエの仕事ではない」と言われたことあり。塩梅はムズカシイ)
この項目については、またどこかでテーマとして綴りたいと思います。
1つのテーマとして成り立つ濃密なものです。
そこで先日の新たな発見。
いつもタイムラグでやってくるこの罪悪感が、姿を見せないときがあったのです。
息子がインフルエンザに罹患。
夫と交代で1週間の自宅療養期間にて看護。
彼は高熱だけどまぁまぁ元気があり、でもマスクをつけられないので咳が容赦なく飛んで来ます。
移らないように完全防御して対応していたから、そういう気疲れはあったのだけど。
でも、私が仕事を休んで息子と対峙していた時間、なんだかとっても心穏やかに過ごせたのです。
これは意外でした。
ちょっと前に自分が体調を崩して(今もまだ調整中)、いろいろと考えることがあって、40歳の壁と向き合いながらこれからのこととか考えたりして、そのタイミングで不可抗力的に舞い込んだ、子と一緒にいる時間。
子どもが静養しなきゃいけないときに不謹慎なのだけど、なんとも愛おしい時間でした。
優越感でも罪悪感でもないフラットな感情に包まれる平穏なひととき。
こんな感覚になるなんて、アイスコーンを食べる有名女優を見ながら空いた口が塞がらなかった過去の自分であれば、到底信じ難いでしょう。
他人軸で考えずに済む、究極の「仕事を休む」ことに対するスタンス。
目の前にいる我が子のためだけに使う時間。
贅沢だけど、今の自分に必要なタイミングで訪れたと感謝します。
(息子が辛いのに感謝とかこれまた不謹慎だけど)
追記
「仕事をサボる」というときには、優越感と罪悪感、どちらが勝つのかな?
根が真面目で小心者の私はサボったことはないので経験則ですら話せないのだけど、こういうケースバイケースでの心理の在り方を解くのもまた面白そう。
(ちなみに、学生時代はよくサボりました。優越感とさえも言えない陳腐な感覚だった記憶なので、それを形容する価値もないな。)
ゆるくと言いつつ、また長くなってしまった。
2000文字くらいを目安にしたいのだけど。
コンパクトにまとめる能力もつけねば。
今週もまた頑張りましょう。
では、また!
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