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【マインド】「世の中は頭の良い人の方が有利」論に物申しても良いですか。

分かっている。
資本主義の社会で、知能が高い人の方が得する仕組みになっていることくらい。

高校に勤めていると、受験指導からは逃れられない。
学校が変わっても、対象が大学なのか専門学校なのか企業なのかが違うだけで、基本的には受験から逃れられない。
生徒も、私たち教師も。
在家庭を積極的に望む場合は別だけど、大人になる一歩手前の段階。
17や18そこらで、人生の行く末を決めるターニングポイント第1弾だ。
(中学受験や高校受験も場合によってはそうかもしれないけれど、大学受験対象者という母集団で考えれば、こちらの方が圧倒的に人数が多い)

ここでは「大学」を例に捉える。

より偏差値の高い大学へ。
よりネームバリューのある大学へ。

そう向かわせたい。
だって、
その方が幸せになる可能性が高まるから。

生徒に「何でですか?」と問われる。

良い企業に入れる可能性が高まるから。

生徒に「良い企業に入ると幸せなんですか?」と問われる。

給与形態や福利厚生がしっかりしていて、より高いお給料もらえるから。

生徒に言われる。
「ふーん」て。

こういうやり取りを、夢の中でしていた。
実は、これが夢に出てきた伏線が夕方にあったのだ。



保育園に息子を迎えに行った際、かつての教え子(今はママ友)に会う。

「せんせ〜(私のこと)、元気ぃ??」

工場勤務の彼女は、作業服で帰りがけに子を拾いに保育園へ寄って行く。

「今日マジで疲れたよ、暑いのにずっと草むしりだよ!見てよ、こんな汚れてるじゃん。」

キラッキラした笑顔で私に話してくる。
なんだか楽しそう。
私の心がざわざわしてくる。

ホワイトカラーとブルーカラーのどちらが上または良い、とかっていうある種の論争とか、職種のランキングとか、ヒエラルキーな視点の見方にどうやら人は食いつきがいいらしい。
時代が変われば捉え方が変わるのは当然だけど、世間一般的な見方が正しいかどうかなんて分からない。

数年前、人工知能が発達したことによって、ゆくゆく消滅するであろう職種のラインナップに、「高校教師」が入っていた。

勉強して
教員免許とって
勉強して
採用されて
勉強して
授業して
この先もずっと勉強して、

そしてAIに仕事を取られる。

草むしりは、AIに仕事を奪われない。

何かのラジオで、結局のところAIに対抗できるブルーカラーの仕事が最強という趣旨の話が出ていた。
それを聴いていた時はこの意見に懐疑的だったけれど、今はその話に同意したい気持ちが高まっている。
身体、健康は立派な資源だ。
それを最大限に活用した仕事は、立派な仕事だ。
人的資源であることに間違いない。

だが決して、
私は草むしりをしたいというわけではないんだけど。
なんか悔しかったんだ。

偏差値や大学ヒエラルキーにこだわって生きてきた。
こだわって生きるようになってしまう環境に身を置いてしまっていた。
きっとそれは、どの高校に入るかで決まる。

大学入学後も同じような価値観の学生たちと一緒にいるから、それが自分のスタンダードになった。

そして社会人になった今も、学生時代に刷り込まれたマインドをベースに、偏差値や大学ブランドにまつわる話を生徒たちに伝える仕事に就いている。
ずっとそういう頭でっかちな生き方をしていたことになるし、これからの自分の在り方にもそれは影響してくる。
ずっとそういう生き方が付きまとう。

草むしりに比べたら、
ずいぶん悲観的じゃないか。

でも悲観的じゃないと、
ある程度の荒波は乗りこなせない。

いや、波のない海がいいんだよ。
潮干狩りでもして楽しめばいいんだよ。

浅瀬でいいんじゃん?
むしろ、濡れずに済むならビーチにずっといればいいし。

一緒に行く仲間は、半径5メートルにいる人でよい。
わざわざ新しい仲間作りはいらない。
同じ地域で同じように育った「ダチ」が一番楽だし、それ以上求めてどうすんのさ。

拮抗する、
相反した2つの在り方。

私は自分の生きてきたこれまでを後悔はしていないけれど、ふとした時に考えちゃう。
この生き方でて幸せなのか?って。

私自身、そんなめちゃくちゃ頭が良いとか日本屈指の名門校出身だとか人並外れた知能があるとかではないけれど、
それなりに努力して今の職業に就いた。
上を見ればキリがないけれど、おそらく自分の努力の限界値が今の職業だと思う。

ただ、だからなんだよって話になる。
草むしりの会話で、心がざわつくのだ。

勉強をして自分が選択した職業に就いた。
大人になっても学びは続いていく。
あれこれ考えながら毎日過ごす。
消耗する。
時には外的要素により、摩耗する。

世の中、どういう仕組みだっけ?

以前勤務していた学校の生徒たちは、高卒で地元の企業に就職していった。
ある工場で働く子は(といってももう20代後半)、私の倍はボーナスをもらっているそうだ。

大卒とか高卒とか、なんなんだっけ。
プライド?世間体?社会的地位?
そりゃあ、稼ぐお金が全てではないけれど。

彼らは、私がどういう気持ちや思いでこの仕事をしているかなんて知らないし、知ってもらいたいわけでもない。
この仕事の良さや価値は、働く自分が分かっていればそれでよい。
だから続けている。

ただ、知能が高い人の方が得するとか、有利だとか、幸せだとかっていう考え方は、尺度によっては話が違ってくる。
そして厄介なのは、知能が高いか高くないかって話自体「高い」とされている人たちにしか通用しないってこと。
そうじゃない人たちには、その議論のニーズはないってこと。
知らなくてよいことは、知らないままの方がよいこともあるってこと。

できることならやらないままが良かったはずの草むしりに、こんなにもジェラシーを抱くなんて。
どうかしてんのか、私は。
やさぐれている季節は、どこにざわざわを湧き起こすトリガーがあるか分からない。

成功者は、ネガティヴ思考な人が多いという。
それが幸せかどうかの観点で見てみたら…評価はいかほどか。評価者にもよるのかもしれないけれど。

なんか、楽しいことがしたい。
パーっと。

前にも似たこと記事にしてた。

もう、またかって自分に辟易!

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