かこな

京大文4 熊野寮

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京大文4 熊野寮

最近の記事

院試勉強中に米津玄師を垂れ流す

数日一人きりで部屋に籠ってずっと院試の過去問を解いている。が、今書きたいのはそれではなくその間流し続けている音楽である。 ユーチューブで米津玄師さんの曲やラジオと称した彼の喋りをひたすら垂れ流しながらやっているのだが、米津玄師って凄いんだなと素直に思った。割とその通ってきたコンテンツに共感できる。映画が好きで、宮沢賢治が好きらしいことが分かる。し、この人の映画経験は明らかに自分より蓄積されているぞ。話の中にちょいちょいビートたけしや黒沢清や深作欣二などの映画監督を挟んでくるの

    • 偶像

      先日フィールドワークで地方都市のモスクに行った。ムスリムの元技能実習生で永住されている方・現実習生さんなどが募金を出し合って作ったものである。どなたも親切で寛容で卒論という下心をもって近づく私に何でも聞いてくださいと言ってくれる。一緒にモスクを掃除し、改修作業を手伝い、お昼ご飯を食べた。言葉は分からないが、仲間同士で冗談を言い合って笑い、こちらを気遣ってくれた。 昨日はイスラム教の大事なお祭りであるイドゥルアドハというものがあった。これはラマダンと並ぶ行事で、お盆のようなも

      • 教養とかいうやつ

        教養深さが今も昔も好きだ。NHKのEテレの善良に狂ったシュールな笑いが好きだ。なんで好きなのか考えていた。 知識に裏付けされた心地よい掛け合い、ウィットとかいうやつ。あれも、まあ好きだしまあ許せる。 が、それを自認し始めると腐臭が漂ってくる。私が好きなのは他者に分け与えようという善意に裏打ちされた知や自他の区別がないような掘り起こされたばかりのもっと一次的で粗暴な知だ。 教育というのは、本来未熟な子どもに対し世の道理とかを色々弁えた教師という力関係がありすぎる二者が同じ目線に

        • はてなの花瓶

          寮には雑草が繁茂している。 その雑草を喰わせるために山羊がいる。 山羊を見るために柵の外から近隣住民や観光客がたまにスマホをかまえる。 冬など草の少ない時分には首輪につながったリードの円の外の草を欲しがって鳴くので、私のごとく気が向いた寮生はそこらの雑草をちぎって山羊に与える。すると草むしりさせられているのは自分じゃないかとちょっと思うが結果オーライか。 マメ科が好物のように思われる。初めて来たときは小さかったのに随分成長した。 今は新緑の季節だからところかまわず草生い茂り

        院試勉強中に米津玄師を垂れ流す

          分かりやすい理不尽

          僕は去年少しの間だけであるがタイに留学していた。東北部で、メコン川の支流の一つであるムン川が街を横切るように流れていた。雨季には洪水で大幅に水嵩が増す。そこの大学にマレーシアから留学していた人がいるのだが、大学バスの乗り方を始めとしてとてもお世話になった。 彼女が今度は5月から京都大学に短期留学で来ることになった。 1日の朝「今大阪にいる」というメッセージが届き、夕方には三条の商店街で再会しているのだから世界はなんと近くなったことだろう。一緒に来た人たち2人と合わせ4人で夕ご

          分かりやすい理不尽

          烏龍茶と笛ラムネ

          寮の隣人とお茶をしながら彼女の卒論について話した。 AIとの自然なコミュニケーションをするにはどうすればいいかについて… 今は東京に行った同部屋が残していった台湾烏龍茶を淹れたら(ありがとう!!!!めっちゃ美味しいよ~)、お茶菓子にコリスの笛ラムネを出してきた。飾りとか言っておまけのウサギのプラスチック玩具を添えて。 「まあ、干菓子と似たようなもんですよね」 「砂糖固めたもんやからな」 「随分さわやかな匂いがする干菓子ですけどね」 彼女曰く円滑なコミュニケーションのために

          烏龍茶と笛ラムネ

          散ってるなあ

          桜の花びらの手触りはいつも心地よい。 京大の本部キャンパスには桜が植わっている道があり、両側にベンチが並んでいる。お昼休みや昼下がりにはご飯を食べたり眠ったりする人をみかける。 今日は晴れていた。陽光で膝が暖かい。 本を読んでいるとページの上にひとひら舞い降りてきた。目を瞑って指先で撫でると優しい気持ちになれる。起き上がった産毛をゆっくりと宥めるようで、新しい年度にまだ馴染めず凝り固まった神経が解きほぐされる感覚に安堵する。ここ最近では最も美しいものの一つだ。 このまま栞にし

          散ってるなあ

          20240410

          女の人がミニスカートをはくのは良くて、男の人が上半身裸になるのは加害になる、という空間が確かに存在する。男性の方が女性より多い男女混合シェアハウスとかを想定してほしい。 これはどうしてなのだろう… そこでは後者は男性性を誇示して女性を威圧することがいけないからだと解釈されているが、女の人がミニスカートをはくことで目のやり場に困る、逆セクハラだという意見が同じように扱われないのはどうしてなのだろう。 強者=男性がそれを誇示するのは駄目だが、弱者=女性が肌を見せるのは加害行為では

          春休み最終日にて

          ずっと映画を観ている。 するといつしか語るべきことが乏しく枯れていく感覚がする。それは当たり前で、一日の大部分を画面に捧げていれば体験の種類が限られてくるから。 でも語るまでもなく全部画面の中に示されているじゃないかと思う。 今のこの精神状態は今までの自分にはなかったことだからできるだけ正しく残しておこう。今書くべきことといってはそれくらいだし。 ・映画を毎日2,3本見る生活をひと月ほど続けると何かしらの悟りが開ける。 ・笑い所が分かって来て「クソ真面目面をしていたあの映画

          春休み最終日にて

          モノクロ

          遊びをせんとや生まれけむ 3月も末近くなると随分寮がさびしくなる。今空白期間なのだ。 ゆずり葉のように就職して去っていくものと、受験に合格した新入生の交錯、その一瞬の隙間なわけでして。 僕が見送るのももう3度目である。今年は同部屋の人と随分仲良くなって、彼女が就職先の東京までヒッチハイクで行くというから(そして一人で行かせられないと心配する声があまりに大きかったから)(そして事実彼女はなんかほっとけない感が漂ってるから)(自分もヒッチハイクにちょっと興味あったから)一緒に行

          映画を(たくさん)観た。

          映画は虚構です。虚構とはつまり嘘ということでしょうか。 嘘とは何なのでしょうか。疲れた旅人が歩いていて分かれ道で「あっちに村はありますか」と聞かれて彼あるいは彼女に本当のことを教えてあげるのは間違いなく本当のことで嘘ではありません。そこで逆のことを言うのは明確な意図を伴った嘘です。 でも、友達が極楽鳥の羽毛を織り込んだ服を着ていたとして、あとであのこの赤色の服似合っていたと評するのは嘘かもしれず、それを聞いた誰かが後日そのこの服を見てなんだオレンジ色じゃないかと思うかもしれま

          映画を(たくさん)観た。

          炎628

          『炎628』という映画を見た。 第二次世界大戦時、独ソ戦を生きる白ロシアの少年が主人公。必死なお母さんと可愛い双子の妹がいる少年はパルチザンに無邪気にあこがれ、「僕も兵隊さんになるんだ!」とばかり戦死者の装備を掘り返して身に着け旅立ってしまう。その様子を上空から見下ろす独偵察機。 頬がバラ色で目をきらきらさせ勇んで行き…さっそくぼろ靴でぬかるみを行くことになり…爆撃を受け逃げ帰ってきてみたら彼の村は全員ドイツ軍に虐殺されている。たかりまくる蠅。 「男を愛して子どもを産みたいの

          りんご:輪るピングドラムと宮沢賢治

          今や少し珍しくなってきているかもしれないけど、蜜柑て赤色のネットに入ってますよね。あれを端から少しずつ巻き返していくと、最後には可愛らしい姫林檎が出来上がります。分かんない?「みかん ネット 巻く りんご」とかで画像検索してみて欲しい。 内側と外側が連続する感じが好きでよく作った。 林檎、字が綺麗だしフォルムも色も美しいし味も美味しいので好きな果物である。一日に4軒ほどアップルパイを求めてお菓子屋さんを巡ったこともある。(蜜柑も大好きだけど今回は関係ないです。) 『輪るピン

          りんご:輪るピングドラムと宮沢賢治

          おひま

          熊野寮で回りの人を見た限りではあるが、多くの人は自分について考えるのが大好きだと思う。わたしはこういう思考パターンをもち、というのもこういった育ち方をしてきたからで…、きっと将来的にはこうなると思う…。 それは必要なプロセスだと思う。自分の内側へ深く深く潜って読み解こうとするのは何より超楽しい。悩むというのは、多分強力な娯楽なんだろう。そうじゃなきゃきっと毎日の生活が退屈でやってられない。もし思考というものがキャラ付けされていたら(しこうちゃんみたいな)、僕たちはしこうちゃ

          ちょっと

          クインテット、今でもたまにyoutubeで見返す。『ただいま考え中』とか。『ちょっと』も「とっても」好き。 ちょっとってどのくらいって分かんない。 幸福は大きいよりも小さく、不幸である方が正当性があるように思われる場面があることを知っている。それは不幸であることの理由が自己責任ではなく社会に帰される時で、不幸の当事者は被害者であるという主張ができるからだと思う。 欧米系男性と欧米系女性とアジア系男性とアジア系女性がいて、我こそは最も不幸であると後三者が主張する。私に比べれ

          無償について

          昔々、まだ世界が平らな大地の上にあったころ、地の果てにはさびしい砂漠が広がっていた。さびしい砂漠は人にも太陽や月にも忘れ去られていたからいつも暗い夜の中にあった。ただはるか遠くの星々の光だけが瞬いて、ぼうと仄かに⻘白く砂を照らしていた。砂漠の真ん中には朽ちて天井が壊れ、吹き抜けになった塔が立っていた。 それはかつてさびしい砂漠が賑やかな交易都市だったころに人々が建てたものだった。 塔の内側には石のらせん階段が地面のさらにずっと深くまで続いていた。その果てを知っている人はもう誰

          無償について