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分かりやすい理不尽

僕は去年少しの間だけであるがタイに留学していた。東北部で、メコン川の支流の一つであるムン川が街を横切るように流れていた。雨季には洪水で大幅に水嵩が増す。そこの大学にマレーシアから留学していた人がいるのだが、大学バスの乗り方を始めとしてとてもお世話になった。
彼女が今度は5月から京都大学に短期留学で来ることになった。
1日の朝「今大阪にいる」というメッセージが届き、夕方には三条の商店街で再会しているのだから世界はなんと近くなったことだろう。一緒に来た人たち2人と合わせ4人で夕ご飯を食べた。
お土産だと言って象の小さなぬいぐるみをくれた。たくさん買ってきたから、日本で仲良くなった人にあげたいのだと言っていた。
東南アジアの人を前にして常々思うのは、気前よく感情を与えてくれるという点である。親愛、友情、信頼といったとても貴重なものを惜しみなくくれる。それを自分が日本語に翻訳すると「生来的な度量の広さを感じるなあ」といったものになるが、これを彼らに言ったらおそらく「私たちはあなた方が考えているほど親切で鷹揚(「南国人」イメージにあるような)ではないよ」と返されるだろう。
僕にしても、外国人に「日本人は親切ですね」と言われたらそんなことはないと思う。
とはいえ良いイメージを持ってほしいのもそうなのである。

先日彼女らはスケジュール確認のため日本側の窓口教員に会ったのだが、その際参加できる授業はなく、利用できる大学図書館は東南アジア研所在の一館だけで、好きなところに行って好きなように過ごせばよいと言われたらしい。しかし当初貰ったお金では大学に収める授業料と学生寮費を引いたらほとんど残らず、これでどう好きなところに行けというのかと途方に暮れていた。
というのは彼女らの待遇が研究員扱いになっているため(実際は学部1,2,3回生なのだが)、学部生の授業を受けさせるようなプログラムにはなっておらず、学部生同士の交換留学であれば効いていたはずの授業料相互不徴収制度が適用されないのだ。
…肩書が合ってない。うちの大学ってこういうがばいとこあるよなあ。その適当さは例えば他の授業に潜れる寛容さでもあるけど、でもわざわざ日本に来させといて放り出すって、これはあかんやろ。
滞在中にそれぞれテーマを決めて報告書を作成し、帰国したら提出しないといけないのだという。なにより日本人学生と交流したいと言っていたのに、これではほとんど接点がない。
自分が留学した時お世話になったアジアアフリカ地域研究所の教授に連絡を差し上げて泣き付いたら、すぐに返信が来た。3人と一緒に研究室にお邪魔して事情を話し、手助けしてくれそうな教授の連絡先などを紹介していただいた。
その足で附属図書館に行き入館証を作ってもらう。足を運んで司書さんと交渉さえすれば実は入館証は作れるのだ。しかし教授や私のような日本人の通訳なしでいきなり彼らに自力でやれというのはあまりに酷だし放任主義すぎる。そもそも図書館がどこにあり、どのような手続きを踏めば良いのか見当もつかないということをなぜ想像しないんだろう。

彼女達が当初戸惑って失望していたのを見ると、これで京大とかもっと言うと日本へのイメージが悪くなってしまったらといたたまれない気分になった。普段ナショナリズムなんぞ想像の共同体に過ぎん云々言ってるが、やはりそのラベルを嫌われたくはないのだ。

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