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オシャレじゃないかもしれないけど、好きな事の為に地味な生活を送る自分を許す

リラックスしたはずなのに、結局イライラ

 最近、色々な心境の変化で、やりがいのある仕事探しは一旦中止。趣味に集中することにした。とりあえず、長年の憧れである、作曲をやってみたいと思う。メロディやコード進行から考えることにした。思いついたフレーズは、単純なマイナースケールだけど、短6度を使いこなせるのかどうか、少し不安ではある。

 という挑戦はしているものの、帰宅してから趣味にたどり着くまでの道程は長い。仕事を終えて帰宅して一休み、英会話をちょっとだけやって、真面目に晩ごはんを作る。ご飯食べて一休み、お風呂に入ってキャンドルに癒やされ、読書なんか始めちゃったりして、ホカホカしてたらもう22:30である。やだ…全然楽器弾けないじゃん…。

周りの価値観に揺らぐ自分に気づく

 オシャレな人のYouTubeを見ることが好きである。しかも、学生時代が冴えなかった自分にコンプレックスがあるからか、そのオシャレな生活にかなり影響を受ける。あんなキラキラした生活に憧れるし、健康的で幸せになれるのではないかと錯覚するからだと思う。

 社会人になって、学生のときより自由に使えるお金が増えた。言ってみれば、お金を払えば、オシャレな生活は手に入る。そんなこんなで、そのYouTuberの真似をして、ゆったりして、オシャレなことに多くの時間とお金を使っている。今までは、それはそれで満足していた。でも、趣味に集中すると決めたときから、こんな考えが頭をよぎる。オシャレに時間を使いすぎたら、何も生み出せないままなのでは…。

今じゃなくて、少し先の未来をみつめる

 もちろん、気分転換は大事だし、オシャレなことだってしたい。でも、それで得られるのは、「今」の満足。それに時間を使いすぎたら、作曲したりとか、YouTube始めてみたりとか、これから得るはずである「未来」の満足は、遠くなってしまうかもしれない。「今」にも満足したいけど、それで「未来」の満足が得られなくて後悔するのも嫌だ。だから、その2つの満足への時間の使い方を気にすることがすごく、大事なんかと、身にしみて実感した。時間を大事にするって、結構当たり前の事だけど、やっぱり誰かに言われるより、自分で実感するほうが行動できちゃう。まったく、どうしようもないことです。

完璧を求めすぎない

 なんとなく自分で、これは外せないリラックスを残し、他は手を抜くことを意識してみた。そして、地味な生活を送る自分を認めるようにしている。まだ、試し試しの段階だから、なんとも言えないけど、日々の暮らしの方向性は定まりつつある気がする。完璧な生活じゃないかもしれないけど、自分が満足してるなら、まあいっか。
 とりあえず、1曲完成させてみよう。
(つづく)

 

 


  

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