JTCを辞めて気づいた真理【私は今後どのような仕事に就きたいのか】
どうも、フェースシールドマンです。
いろいろあって再び更新頻度が遅くなりましたが、最近転職活動をしているためそっちの方が忙しくてバタバタしています。
さて、私は最近JTC (Japanese Traditional Company,日本の古き悪しき伝統的な企業の略)を辞めていわゆるニートです(笑)。
JTCを辞めて気づいたのですが、JTCでやるような単調な仕事はもうやりたくないです。
先輩や上司の指示を聞くのが仕事になったり、何の目的か分からないような仕事があったり、仕事のための仕事があったり…、思い返せば止まりません。
そして、JTCのような社風はどのように形成されていったのか、なぜ私は合わないと思ったのか、私の幼少期から振り返りたいと思います。
幼少期から振り返るって長すぎだろ!って思う人がいるかもしれません。
仕事とプライベートは分けるべきだ!って思う人がいるかもしれません。
ただ、それだけ悩んできたことなので稚拙ながら誰かの参考になればと思います。
1.幼少期から高校卒業までを振り返る
1‐1.幼少期の記憶
私の幼少期の記憶は早いもので、1歳頃からあります。母親が当時連ドラを見ていて、その主題歌がかすかに記憶に残っていました。
そのドラマと主題歌を言うと年齢が特定されてしまうため伏せておきますが、当時人気だったドラマです(笑)。
さて、私が幼いながら気になっていたことは下記の2点です。
家族の距離感
家族同士のコミュニケーション
これらについて語っていきたいと思います。
・家族の距離感
2歳の頃、祖父母が家に遊びに来ました。
もう歩ける年齢でしたが、家で食事が終わった後に相撲ごっこをしようという感じになりました。
2歳の私を相手に、大人たちは楽しそうに遊んでくれました。
家族の真ん中にいる私は両親がお互いよそよそしいように感じ、自分が行司をやるから両親に相撲ごっこをしてほしいと言い出しました(笑)。
(当時2歳だったので大人ほど語彙力はありませんでしたが、要約するとこんな感じです。お前らもっとくっつけと思っていました笑)
力士よりも行司がやりたかったのもありますが、当時から両親の雰囲気に違和感を感じていました。
・家族間のコミュニケーション
私の父親は実の両親(私から見ると父方の祖父母)と会話をするときに、いつも喧嘩をしているような口調でした。
しかし、父方の祖父母は父親の強い口調を全く気にせず、時には笑いながら受け答えしていました。
父親が強い口調で話し、祖父母は笑いながら答える。
そんなコミュニケーションが家族では普通でしたが、一般的に普通ではないと子供ながら思っていました。
なぜかというと、家族は言葉と言葉でしかコミュニケーションをとらえていないからです。
子供の時のことをここまで深く考えるとはイやな奴だと思われることでしょう。
ただ、子供のころから記憶がはっきりしている人は覚えなければならない理由があったようです。
元ネタはひろゆきさんの切り抜き動画です(笑)。
1-2.小中学校の記憶
小学校時代の記憶はもちろん残っており、担任の先生やクラスをよく覚えています(笑)。
小学生時代に気になっていたことは以下の2点です。
親の教育方針で転校できなかった
学校の交友関係が親に共有されていてプライバシーがなかった
これらについて語っていきたいと思います。
・親の教育方針で転校できなかった
私は小学6年生の時に人間関係に疲れて学区外の中学校に行きたいと思うようになりました。
当時私は、小学生ながら人間関係をリセットしたいと思っていました。
しかし、どうすれば別の中学校に行けるのか分からずそのまま家から近い中学校に行くことになりました。
その理由として、親の教育方針として転校は一切ダメというのがありました。
私の母親は祖父の仕事の都合で別の地方に転校したことがあり、どうやらそこでうまくいかなかったようです。
高校進学と同時にその地方を離れ、引っ越し前に住んでいた地域に住んでいた親戚の家に移って近くの高校に進学しました。
母親が高校在学中に祖父の転勤があり、引っ越し前と同じ都道府県に戻ってきました。
そのタイミングで母親は高校を転校し、祖父母と再び暮らすことになりました。
そのような経緯があり、暗黙のルールとして転校はタブーとなっていました。
アニメだと回想だけで1話作れるような重要な話ですが、詳しいストーリーをあまり言ってくれなかったため、数年かけて徐々に理解していった(というより察していった)感じです。
ただ、小学校の時の環境は私にとってあまりよくありませんでした。
私の同級生の中に、いわゆる問題児のような奴がいました。
(多分、ケーキを三等分に切れないと思います。)
先生に歯向かったり、クラスメイトをいじめたりしていて、みんなそいつのイエスマンになっていました。
私はイエスマンにならなかったので、同じクラスになるとたびたび衝突していました。
何度か揉めましたが、手を出さなければ先生に責められないことに気づいた私は、何をされても動じない作戦に出ました。
その結果いつのまにか先生VS問題児になり、6年生になったタイミングで学校を追い出されました。
こうして私の小学校は平和になったかと思いきや、私は人間関係に疲れてしまい11歳ながら人間関係リセット症候群になっていました(笑)。
その背景には別の事件がありました。
5年生の時にある日登校したら、私の下駄箱が壊されていました(笑)。
気づいたらあの問題児が近くにいて、「俺じゃない!」と言っていましたが、かなり焦っている感じだったので噓をついていると思えませんでした。
その後別の下駄箱を使用することになり事なきを得ましたが、犯人が学校の中にいたのは事実です。
当時を振り返ると犯人は大体わかりますが、確信は持てないですので真相は闇の中です。
しかし当時、犯人が誰かを考えてストレスを感じ、猜疑心が強まっていきそうでした。
こうするうちに人間関係に疲れていき、別の中学校に行きたいと思うようになりました。
といっても、この一連の出来事に対して親は何もアクションせず、また自分から別の中学校に行きたいと言えず、結局家から近い中学校に行くことになりました。
人間関係に疲れたホモサピエンスが同じ人といるとどうなるでしょうか。
その結末は、周りに対して徐々に横柄になっていき最後は孤独になってしまうのです。
・学校の交友関係が親に共有されていてプライバシーがなかった
私の親は私の友人関係に興味関心があり、何でも知りたがろうとしました。
仲のいいクラスメイトは誰か、隣の席の女の子は誰か、担任の先生はどんなことを言ったかなどなど…
家の中ではあたかもプライバシーなどなく、交友関係を共有して当たり前という感じでした。
ある日、私が友人同士で話したことが親に伝わってしまい、そのことで怒られたことがありました。
内容はあまり言いたくないですが、誤解のないように言ったはずがどこかで曲解され私がブーメランを食らってしまいました。
それ以来私は軽い人間不信になり交友関係を話したくもなく、知られたくもなくなってしまいました。
その代わり、時々(おおむね週に1度以下の頻度で)顔を合わせる関係に興味を持つようになりました。
これが現在で言う『サードプレイス』のようなものです。
やはり私は身の回りの環境がよくなかったのでこう考えるようになりました。
「家でもなく学校でもない環境をもうひとつ持つべきだ」
当時はサードプレイスというかっこいい横文字がなかったので、小学生ながらモヤモヤ考えていました。
(こんな小学生、コナン君以上にイヤかもしれません💦)
当時私は習い事に行っていたので、そこで知り合った人の中にはのちに部活の先輩になる人がいて、今でも思い出に残っています。
話はそれましたが、私の親はどこか自分と同じ考えを持つべきだと思っているようでした。
これにより私は、周りの人と蜜月の関係を築くことが苦手になってしまいました。
2.社会人になってからのことを振り返る
さて、歳月は経って社会人になってからのことになります。
私が社会人になってから違和感を感じたことを大きく2点取り上げます。
属人的で見て覚えるような職場
特定のものに対するこだわりが強い社風
これらについて語っていきたいと思います。
・属人的で見て覚えるような職場
社会人1年目ではやりがいのある仕事ができて、順風満帆でした。
幼少期に相撲ごっこをした際に行司をやりたがった私はプロジェクト管理のような仕事をしていました。
でも、キャリアパスとしてはプロジェクト管理のように広く浅い仕事よりも、狭く深い仕事の方がスキルアップしやすい環境でした。
そのため少し焦りながらも数年仕事を続けていたところ転勤の話があり、望み通り狭く深い仕事に関われるようになりました。
しかし、これがのちに社会人生活として命取りとなります。
狭い範囲で仕事をしているうちに、何のために仕事をしているのか分からなくなってしまい、ノイローゼになってしまいました。
なぜここはこうなっているのか、誰が考えたのか、どうしてマニュアルがないのにみんな知っているのか、不思議でたまりませんでした。
私が初めて経験した狭く深い仕事は、属人的で見て覚えるような仕事でした。
そして、ひたすら指示を聞きながら取り組んでいく中で、細かい仕事をまとめられないか考えました。
細かい仕事というのは具体的に、こういう時にはこうする、ここではこうする、この人にはこうする…etc
内容によっては何通りもある複雑な仕事内容をまとめられないかと考えました。
しかし、自分の力でまとめることはできませんでした。
理由としては属人的すぎること、同僚の気分や状況によってやり方が異なることなどがありますが、職場の雰囲気になじめず完全に八方塞がりになってしまいました。
属人的で見て覚えるような職場環境自体、化石のように古いものだと捉えられていますが、古いやり方に固執している人が多かったです。
・特定のものに対するこだわりが強い社風
狭く深い仕事に向いていないと思った私は、再び広く浅い仕事ができる職種に転職しました。
しかし職種と業界の両方を変えることは難しいため、同業界への転職となりました。
転職して思ったのですが、職種のみならず業界も合いませんでした。
その理由は社風です。
まず、アットホームな雰囲気がどうも合いませんでした。
これまで親に自分と同じ考えを持つべきだと思われていた身としては、何でもかんでも周りの人と考えを共有するのが怖くなってしまいました。
どこかで違いが生じた時に何をされるか分からないからです。
(オンドゥルルラギッタンディスカーって逆ギレされるかもしれないです笑)
アットホームな雰囲気では、みんな同じ考えでなければならないという気迫を感じます。
あの雰囲気に馴染めないと周りの人の接し方が露骨に変わります。
中には表情が読み取れない人なんかもいて対応に困りました。
仕事をするときも悪い意味で前例主義というか、主体性がないように感じました。
そのため仕事が身につかず、事あるごとに確認していました。
かといってこちらから質問すると、突然キレてくるなんてこともザラでした。
ダメなことはダメとはっきり言われることもありましたが、理由を説明しなかったり、説明されても曖昧だったり、理解しがたい理由だったりしました。
その時は察する以外対処法はありません。
3.たどりついた真理
ここまで非常に長くなりましたが、文章の中に太字があったかと思います。
これらを抜き出して再度箇条書きでまとめてみます。
言葉と言葉でしかコミュニケーションをとらえていない
暗黙のルール
詳しいストーリーをあまり言ってくれなかった
自分と同じ考えを持つべきだ
古いやり方に固執
みんな同じ考えでなければならない
表情が読み取れない
主体性がない
逆説的ですが、このような特徴のある人はアスペルガー症候群のようです。
これに気づいたきっかけは、早稲田メンタルクリニック益田先生のYouTube動画での解説です。
その動画では、クリニックに来る人よりも関係のある人に実は問題があるのではないかと提唱されています。
私が益田先生の解説を見た時、妙に納得してしまいました。
さらに、太字からとある会社の特徴が見えてきました。
言葉と言葉でしかコミュニケーションをとらえていない
表情が読み取れない
⇒パワハラになりやすい、またはパワハラだと誤認されやすい
暗黙のルール
主体性がない
古いやり方に固執
⇒年功序列
詳しいストーリーをあまり言ってくれなかった
自分と同じ考えを持つべきだ
みんな同じ考えでなければならない
⇒アットホームな雰囲気、仕事が属人的
これって、前の会社では…!
つまり前の会社全体がアスペルガー症候群のような性格を持っていたのではないでしょうか。
前もってお伝えしますが、アスペルガー症候群を名指しで批判しているわけではないです。
現在ではASD(自閉症スペクトラム)といわれていますが、その中でも知能に問題はなく普通に働けている人の中でコミュニケーションに特異性がある人が多かったということです。
アスペルガー症候群は、他にも以下のような特徴があります。
・先々のことが想像できず、行き当たりばったりになる
・好き嫌いが激しく、時には0か100で考える
・興味関心の幅が極端に狭く、同じことを同じように繰り返し話す
・自分が知っていることを相手も知っていると考えている
ちなみにこれ、前の会社だけでなくJTCでも同じようなことが言えると思います。
更に余談ですが、日本人の8割はアダルトチルドレンと言われています。
非常にセンセーショナルな内容ですが、読んでみたら納得できるかと思います。
下記記事では、アダルトチルドレンの定義を「子供の頃に刷り込まれた価値観を変えられない人」としています。
私の予想ですが、アスペルガー症候群含め発達障害の傾向がある人はアイデンティティがないため価値観を変えられず、大人になってから苦労する人が多いと思います。
つまり、発達障害の傾向がある人はアダルトチルドレンも抱えている可能性があるのではないでしょうか。
それに対して私は、周りの考えや価値観に対して疑いながら自分の価値観を確立させて生きてきました。
上記のことから、アスペルガー症候群の傾向がある人と私は全く合わないと思っています。
4.今後就きたい仕事
というわけでJTCを辞めたわけですが、今後は広く浅く様々なプロセスに関われる仕事をしたいなと思っています。
また、お互いコミュニケーション取るときは言葉のみならず、表情や声のトーン、目線なども取り入れてやり取りできればと思っています。
私自身、社会人1年目の23歳の時に「メラビアンの法則」を知り、言語情報は会話の7%しか重要視されないことが分かりました。
(ちなみに聴覚情報は38%、視覚情報は55%となります。)
そのことを知ってから数か月後、父方の祖父は亡くなりました。
5.まとめ
つらつらと長い文章を書いている間に思ったのですが、私のヒーロー像は強いレッドや仮面ライダーなのではないかと本気で思うようになりました。
どんな困難やピンチでも1人で戦い続ける強いレッドを子供の時によく見ていました。
また、中学生になってから改造人間にされたという孤独を抱え戦う仮面ライダーに感情移入するようになっていきました。
そして、そのヒーロー像が今でも脳裏に焼き付いていて、自分の指針になっていたのだと思います。
正直言って全国転勤の仕事を甘く見ていました。
私は地元に残らないという選択を取った結果、全国転勤の仕事になりました。
しかし、誰とどのように仕事をするのか全く分からない仕事はもうできません。
この時期になると、かつて住み慣れた場所を去らなければならなくなる転勤に絶望したことを思い出します。
私の祖父は転勤したことがあるのですが、転勤がつらいことを当時親に相談したときに「辞めればいい」と一蹴されました。
今回の内容は私の罪滅ぼしのような位置づけなので少々乱雑になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
フェースシールドマン
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