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特撮オタクの半生 ~なぜ自分はスランプだったのか~

初投稿から約1年が経ちました。
ちょー久々の投稿です(笑)
この1年間はスーパーヒーロータイムを見ていたのはもちろんのこと、特撮のロケ地を聖地巡礼したことで特撮に対するモチベーションが上がりました。
しかし、前回投稿したときは正直モチベーションが下がっている状態でした。
特撮オタクとして25年以上過ごしてきた中でモチベーションが上がったり下がったりすることはこれまで何度かあり、昨年の6月くらいまでモチベーションが低迷していました。
そんな自分がこれまでどのような変遷を経てきたのか、特撮に対するモチベーションという観点から振り返りたいと思います。


1.特撮オタクとしての半生

まず始めに特撮にハマったきっかけから書き出すとかなり長くなってしまうので、以下の項目に分けて解説したいと思います。
・特撮にハマったきっかけ(幼少期)
・1度目のスランプ(小学校入学)
・2度目のスランプ(中学時代)
・3度目のスランプ(夏未完)
・4度目のスランプ(高岩成二さん引退)
かなり長くなりますが、一人の特撮オタクの実体験をご紹介出来ればと思います。

特撮にハマったきっかけ(幼少期)

私が生まれたときに住んでいた環境は、となり近所に同年代のお子さんがいる家庭が多く親にとって子育てしやすい環境でした。
となり近所の方と交流もあり、そこからヒーローものの話が伝わったのではないかと思います。

あまり信じられないかもしれないですが、私は2、3歳の頃から記憶があり幼少期の記憶が断片的に残っています。
家に祖父母が遊びに来たこと、近所の方と買い物に行ったこと、初めててれびくんを買ってもらったこと、おもちゃを貸してもらったこと・・・
私が3歳の時に親が家を購入し引っ越してから幼稚園に通うことになり、クラスメイトはみんなヒーローものにハマっていました。

幼少期は玩具やお面をよく買ってもらいましたが、何を買ってもらえるか子供ながら楽しみにしていたものです。
そして本気で特撮にハマったきっかけは、誕生日に歴代スーパー戦隊を特集したビデオを買ってもらったことです。

そのビデオを何度も見るうちに、自分が生まれる前のスーパー戦隊も知ることができたのが大きな財産になってます。
(ちなみに買ってもらった場所も覚えています。ダ〇エーありがとう笑)

これまで過去の戦隊の本をバザーで買ってもらったことがありますが、やはり絵や写真で見るのと実際の映像を見るのは違いますのでとても印象に残っています。
こうして特撮にハマりこれからも楽しい未来が待っていると思われますが、ここからオタクにとって険しい道のりが始まります。


1度目のスランプ(小学校入学)

まず前提として私が子供の時は特撮は子供が見るものというイメージが強く、小学生になったら自然と卒業するのが普通でした。
そんな時期に幼稚園を卒業し小学校に入学したときに転機が訪れました。

幼稚園の卒業が近づいた頃、次のスーパー戦隊が始まりました。
(作品名を言うと年代を特定されたり、特定の作品への批判と思われる可能性があるため作品名は控えさせていただきます。)

新しく始まったスーパー戦隊について、幼稚園の友達と話題になると思ったら全く話題にならなかったのです。
友達の中で話題になっていたのはテレビゲームでした。
私はそのテレビゲームのことをてれびくんで知っていたので話題に乗れましたが、まさに寝耳に水でした。

当時6歳なのにこんなことを覚えているなんておかしいとかいろいろ言われるかもしれません。
しかし本当に当時見たり聞いたり感じたりしたことですし、この体験から幼稚園卒業と同時にヒーローものを卒業することを知りました。

友達やクラスメイトがヒーローものを話題にしなくなったことで、自分自身もヒーローものとの付き合い方を変えなくてはいけないと直感で感じました。
当時のことを思い出しながらまとめると以下のような感じです。
・おもちゃや本は買わない
・リアルタイム視聴するが録画はしない
・友達の話題(テレビゲームやアニメなど)を優先する

みんなの話題に乗れないとハブラレンゲルされるのは今も昔も同じだと思いますが、幼少期に見ていた作品よりも思い入れが弱くなり一歩離れたところからリアルタイム視聴しているような感じでした。
そうすると必然的に過去の作品と比較するようになってしまい、今の作品は面白くないだのなんだのと徐々に不貞腐れ始めてしまいました。

人生初のスランプから脱却したきっかけは下の兄弟が特撮を見始めたことでした。
下の兄弟と一緒にてれびくんを読んでいるうちに再びハマり始めて、リアルタイム視聴を楽しむことができました。

箇条書きでまとめた上記のスタンスは変更しなかったものの、再び楽しむことができたのは今でも覚えています。
(ちなみに下の兄弟は幼稚園卒業と同時にヒーローものを卒業しました。私は現役続行です笑)

2度目のスランプ(中学時代)

中学生になっても特撮を見続けていましたが、クラスメイトで見ていた人は全くいなくなり、もはやスクールカースト上位の人のネタになっていました。
自分だけタイタニックの船に乗り続けていることに気づかず、特撮を好きでい続けていました。

中学時代は部活に入り(一応運動部です笑)、仲良くさせていただいた先輩と帰ることがよくありました。
そんな中で部活の先輩も特撮が好きだったことがわかり意気投合しました。
狭い世界で生きていた自分にとって共通の趣味を持つ人が身近にいることはとても大きく、今思い返すとその先輩と一緒にYouTubeチャンネルを開設していたかもしれないです(笑)

ある日その先輩と本の貸し借りをしようという話になって、先輩から特撮の本をお借りすることになりました。
ただ、本の貸し借りをした場所が悪くクラスメイトに教室でバレてしまいました。

そのとき教室にいた先生があまり怖くない先生だったので笑ってごまかしてくれたのが不幸中の幸いでした。
その先生には頭が上がりませんが、しばらくの間その先生には貸し借りした本の特撮作品名で呼ばれることになりました(笑)
(○○レンジャーとか○○マンとか、作品名はご想像にお任せします)

バレた瞬間はうまくごまかせましたが、私が知らない場所で徐々に噂が広まっていました。
数ヶ月後、私はある日スクールカースト中位の人たちから根も葉もないことを言われるようになりました。

前述したように当時はオタクに対する偏見が強かった時代でした。
普通のホモサピエンスに馴染んでいたはずの自分が全く馴染めていなかったのでした。

今もそうかもしれませんが、当時は誰とでも仲良くするように教育されていたので偏見を持つ人たちに反論することができませんでした。
しかしストレスは溜まる一方だったので、つい担任の先生にグチってしまいました。

しばらくして中学三年生になった時のことです。
クラス替えで私はA組になり、オタク差別をしてきたスクールカースト中位の人たちは全員Z組(つまり一番最後のクラス)になりました。
今ではYouTubeでも有名になっている、あのクラス替えです。

当時中学のクラス替えはテストの点数をもとに決めていると聞かされていましたが、中学三年生のクラス替えの時は裏で何かがあると直感で思いました。
その時の違和感を誰にも相談することができず、そもそもクラス替えのことはブラックボックスになっていたのでやりきれない気持ちになりました。

心に葛藤を抱きながら中学三年生を過ごしていく中で、私は改造人間として闘う仮面ライダーに感情移入するようになりました。
スーパー戦隊と同じく仮面ライダーも幼少期から好きでしたが、本格的に好きになったのはこの頃でした。

中学を卒業して高校に入学した際に、私はある決意をしました。
それは特撮を封印することでした。
高校と大学の途中までは自分の好きなことよりも友達を優先するようになりました。

それでも完全に特撮を捨てきることはできず、一人でスーパーヒーロータイムを見ることは続けていました。
特に仮面ライダーに感情移入するようになってから仮面ライダーにもハマるようになりました。
(平成一期ライダーはどれも好きでした)

そして、ここから具体的な年月をもとに解説しますが、仮面ライダーディケイドの最終回を見たときに3度目のスランプが発生します。

3度目のスランプ(夏未完)

2009年8月30日、仮面ライダーディケイドが完結。
某P曰く、最終回は1話とループするイメージで制作したようです。
詳しくは他のサイトも調べてもらいたいですが、最終回のラストが「続きは映画で!」みたいな感じで終わりました。
嘘だろ、テレビドラマかよ…って感じでした笑

当時はリーマンショックの影響で、スーパー戦隊と仮面ライダーを半年ずらさないと商業的にやっていけない事情があったのかもしれないです。
それは理解していますが、ディケイドを1年半やるのがよかったのではとかいろいろ思うところがありました。

個人的にディケイドは好きな作品の一つですが、最後のオチというか締めがよくなかったです。
その後夏未完はBPOにも取り上げられ、かなり物議を醸しました。

次作の仮面ライダーダブル以降はプライベートが忙しくなってきた関係であまり見なくなっていきました。
結局のところ夏未完の後、スーパーヒーロータイムを見れなくなったことによりスランプに陥りました。

当時は土日も出かけていて、朝はNHKの小さな旅(毎週日曜日朝8:00~)を見ていました(笑)。
会社でも特撮オタクであることを隠していましたし、特撮にかけていた情熱は自然とフェードアウトしリアタイ視聴も辞めていました。

いつの間にか特撮は自分にとって過去のものになっていましたが、それでいいやと思う自分もいました。
余談ですが、ゴーカイジャーが始まった際にディケイドの二の舞になってしまうのではないかと危惧していました。
今思い返すと余計な心配でしたが…

あれから数年経った2016年、リアタイ視聴しなくなっていた自分に転機が訪れました。
これまで働いていた場所から転勤し引っ越すことになりました。

せっかく住み慣れた場所を去るのは気が引けました。
その上、新天地で慣れるか不安でした。
(最終的にはその場所に慣れませんでしたが)

転勤後も土日はよく外出していましたが、スーパーヒーロータイムは全国どこでも日曜朝にやっていることを思い出し、リアタイ視聴するようになりました。
付き合う人や環境が変わってもスーパーヒーロータイムは変わらないことに気づかされたのでした。

しばらくして仮面ライダーエグゼイドが始まり、そのビジュアルに興味を持ったことから本格的にリアタイ視聴し始めました。
ちなみにリアタイ視聴を始めたきっかけは、同期との再会もありました。
会社の同期で特撮が好きな人がいて、飲み会で再会したときに話をしたのを覚えています。

転勤後は仕事に慣れず、拠点によってこんなにも現場の雰囲気が変わるのかと驚かされました。
そんな自分はまだ未熟だったのかもしれないです。
新天地の雰囲気に馴染めず、気づいたら仕事を休むことになってしまいました。
(ちなみに特撮好きの同期は、私が仕事を休んだタイミングで退職しました)

仕事を休んでいる間はリアタイ視聴を続けていましたが、復職したタイミングで仮面ライダージオウが始まりました。
復職した際に別の拠点へ転勤になりましたが、次の現場は安心して働けるか不安で純粋に仕事を楽しめなくなったので転職活動を始めました。

仕事が続けられず再び休職するのを最低最悪と考え、いかに最高最善の道を進むか考えていました。
仮面ライダージオウがクライマックスに突入する中、再び転機が訪れました。

4度目のスランプ(高岩成二さん引退)

2019年8月、高岩成二さんが主役ライダーのスーツアクターを引退することになりました。
私はずっと高岩さんを支持していましたので、ついに来たかという心境になりました。
本記事は特定の作品に対する批判ではありませんので予めご了承ください。

仮面ライダージオウが終わってゼロワンが始まってから、1話で高岩成二さんが出ていないことに気づきました。
私は当時気持ちの切り替えができていなかったのだと思います。
仮面ライダー滅のスーツアクターで高岩成二さんが再登場したときは、何とも言えない安心感がありました。

ちょうどその頃、私はボーナスが出るタイミングで仕事を辞める決心をしました。
趣味でも仕事でもプライベートでも、生活がガラリと変わりました。会社のつながりが無くなって、プライベートでは一人で過ごすことが多くなりました。
(会社を辞めたら縁が切れるのはよくあることですね)

その後転職しましたが、これまでの仕事とは違いひたすら目の前の作業を行うだけの日々が続き、将来に不安を感じるようになりました。
それから数か月後、コロナウイルスが蔓延。
スーパーヒーロータイムは撮影が一時停止するという異例の事態になりました。

幸いにもこれまで感染せずに過ごせましたが、緊急事態宣言下の雰囲気で閉鎖的だった学生時代がフラッシュバックし苦しかったです。
ただ、じっとしていても何も始まらないので自分から行動して特撮関連のイベントに参加するようになりました。
スーパー戦隊ミュージアムに行ったり、ゼロワンの映画を見に行ったり、Twitter(X)のアカウントを開設したり…

しかし、どれをやっても沼から脱出できませんでした。
4度目のスランプは高岩成二さんの引退やコロナウイルスだけでなく、不運な出来事の連続でした。

2021年4月3日、仮面ライダー放送開始50周年の節目に、倉田てつをさんがライブ配信で仮面ライダー好きじゃないと発言し特撮界隈では大変な騒ぎになりました。
倉田さんに謝ってほしいと涙ながらに話す人もいましたが、私としてもいろいろ思うところはありました。

私は幼少期にスーパー戦隊の本をよく読んでいましたが、実は仮面ライダーブラックRXの本も読んでいました。
ロボライダーやバイオライダーにフォームチェンジするのがカッコよくて、一気にRXが好きになりました。
ちなみに、前作の仮面ライダーブラックを知るのは中学生になってからですが、RXとは違う作風であるブラックにも惹かれていきました。

私のように(私以上に)仮面ライダーブラックが好きな方々は、あの騒動でとても苦しい思いをしました。
余談ですが、後日スーツアクターの浅井宏輔さん(幼少期に仮面ライダーブラックを見ていた)がTwitter(X)のアカウントを閉鎖。
浅井さんは今も当時の心境を語ることはありません。

翌年2022年には仮面ライダーオーズ10周年記念映画「復活のコアメダル」を見に行きましたが、こちらも物議を醸しました。
私はオーズをがっつり見ていたわけではないので恐縮ですが、思い入れのある人にとっては良い結末ではありませんでした。

映画仮面ライダーバルカンもそうですが、結末があまりよくない作品が続いており、特撮ファンはストレスが溜まっていたと思います。
(当時コロナ禍だったので、私は仮面ライダーバルカンを見るのを自粛しました)

中には、制作スタッフが故意に後味の悪い作品を作っているのではないかと疑う人もいました。
復活のコアメダルを見た後、私は映画の製作発表で出演者さんが心の底からいい映画だと言っているのか疑ってしまいました。

ちなみに、復活のコアメダルの後にSNSで仮面ライダーオーズOPが突然流行りだしました。
誰がなぜ始めたのか、なぜ流行ったのか、詳しいことは不明ですが何かしら不思議なことが起こったのは言うまでもありません。

そして、仮面ライダーリバイスが終わり、ギーツが始まるタイミングで再びハプニングが発生しました。
2022年9月、ゼロワンからアクション監督を務めていた渡辺淳さんが突然海外に行ってしまいました。
理由も場所も分からず、私は数少ない情報から何かを察してしまいました。

というのも、ゼロワンからリバイスまでの三作品ではいわゆる闇堕ちが長く続き特撮ファンの中ではマンネリ感が否めない状況でした。
n番勝負やメインキャラの復活など、先の展開が読めてしまう状況が続き、途中でリアタイ視聴を離脱する人もいました。

そんな中で渡辺淳アクション監督の突然の降板、私にとってはこれまで蓄積されたものが一気にあふれてしまいウソダドンドコドーン状態になりました。
私はかつてのように純粋に特撮を楽しめないのではないかと本気で思うようになりました。
映画を見ても、感動するシーンを見ても、何も感じなくなっていました。

何をやっても楽しめなくなって本当に地獄でした😭
しばらくして(2023年の1月頃)渡辺淳さんが日本に帰ってきました。
実は海外でパワーレンジャーの仕事をしていたらしく、ニュージーランドのオークランドで撮影していたとのことでした。
(写真見たときは南国のビーチでゆったりしているのかと思いました笑)

2023年の4月、私は3回目のスーパー戦隊ミュージアムに行きました。
場所は2020年の2月に開催された場所と同じ。
目的はメタルヒーローの展示を見に行くことと、ついでにみなとみらいで聖地巡礼することでした。

そう、私はこれまで不定期で行なっていた聖地巡礼を本格的に行うことにしました。
当日は桜が咲いていたこともあり、多くの人でにぎわっていました。
そんな中でひとりスマホを片手にヒーローの面影を追う特撮オタク。
手ごたえはあった。

その次にさいたま新都心に向かいくまなく散策しました。
当日は午前中に現地に到着し、昼前に一通り散策し終わりました。
翌日いつも通りスーパーヒーロータイムを見たら、自分が散策した場所が本編で使用されました。

オンエア前に事前に散策した場所が撮影で使われたのは何だか不思議な気持ちになりました。
そして私は紙に聖地巡礼のルートを書き始めました。
次に行ったのは東京23区内の聖地でしたが、ルートを決めて順番に回っていきました。

自分で決めたルートを時間通りに回っていくことにだんだん充実感が湧いてきました。
そして、これまで聖地巡礼のルートを決めた中で個人的によく知っている作品とあまりよく知らない作品とで偏りがあることがわかりました。
リスキリングと言うと変かもしれないですが、これまでよく知らなかった作品についても幅広く知る必要があると思い、再スタートすることになりました。

こうして個人的な葛藤から脱却して情報発信できるようになったことは、自分にとって大きいことだと今では思っています。
最後に4度目のスランプで遭遇した出来事を箇条書きでまとめます。
・高岩成二さん主役ライダー引退(後にJAE退社)
・コロナ禍
・倉田てつをさん仮面ライダー好きじゃない発言
・復活のコアメダル
・n番勝負や闇堕ちなどによるマンネリ感
・渡辺淳アクション監督海外逃亡(後に帰国)

この一連の出来事でも生き残っていくのは相当苦しかったと思います(笑)。
ただ私は、特撮が好きという気持ちだけが首の皮一枚となって生き残りました。

ちなみに、その間自らアクションを起こしたこともありますがどれも大体うまくいきませんでした。
そのアクションも箇条書きでまとめます。
・スーパー戦隊ミュージアムに行く
・映画館で劇場版を見に行く
・SNSを始める
・柏餅と紅ショウガ入り豚骨カップラーメンを食べる
・仮面ライダー展に行く
・聖地巡礼を始める

次なるスランプに備えて

自分がいつ何が原因で再びスランプに陥るのか、私にはわからない。
しかし、夢の続きが見れる間は瞬間瞬間を思いっきり楽しんでいきたいと思う。

今回はこれまでの思いの丈を長々と書いてしまいましたが、Twitter(X)のポスト代わりにでも使おうかなと検討中(✅ついてないんで笑)

まとめると、私が直近のスランプを脱却できたのはケケラのおかげです。
以上です。

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