「自分のセンターライン」
ルール&ガイドライン依存症
物心ついたころから、あれ駄目、これ駄目、あれしろ、これしろ、と言われ続けて育たなくとも、幼稚園は、小学校、中学校、高校と、規則に従うことを強制され、嫌なら出ていけと言われ、いきなり大学で自主性を問われても、結局は先輩や周囲との同調に依存するしかなく、会社に入っても先輩や上司に社則より狭い、暗黙的ガードレールを敷かれれば、誰もが本来の自分のセンターラインよりも、暗黙的ガードレールを気にして暮らすようになるは必然。予定調和を乱す言動を嫌い、蛸壺間の干渉もご法度になり、強い外圧等によるトップからのガードレールの変更指示なしでは変化できない個とその個を承認しあう蛸壺集団を作りだしてしまう。
ダイバーシティと心理的安全性
最近はダイバーシティ&インクルージョンや、心理的安全性が別の切り口から論じられることがありますが、ダイバーシティ&インクルージョンは単に異文化の受容や仲間として受け入れるという表面的な話しではなく、一人ひとりによる、一人ひとりに対する敬意と尊重が心理的安全性が確保された組織であることが前提条件であり、ルール&ガードレール依存症の人達は同質性を求めてしまうので、異質性を認識した人に対して心根では許容しません。せいぜい自分とは異なる別世界のこととして、横に置いておく程度でしょう。
職場での服装自由化と心理的安全性
服装のカジュアル化や、柔軟な働き方も同様です。「どんな服を着て行けばいいのわからない」というのはまだしも、「とんでもない恰好をしてくる輩がいるかも知れないから、ガイドラインを示すべき」というのは、個に対する尊重や敬意の薄い職場であり、心理的安全性とは程遠い職場で交わされる会話の典型でしょう。
結局は表面的な値踏みを捨てるという事
そもそも他人の中身を適正に評価することなんてできないのに、評価することに根本的な問題があるのですが、実生活において、何らか評価さざるを得ない現実もあります。ただ、少なくとも、傲慢で表面的な値踏み、決めつけをしないようになれば、値踏みされることを恐れなくなるし、心理的安全性の高い職場になっていくでしょう。外国人(異文化)を入れる入れないの話しなど表面的なことではなく、真のダイバーシティはそこから生まれるんだと思います。
自分のセンターラインで生きる
仕事含めて人生を生きるうえで、知らない誰かが決めた物差しや、法律の内側で勝手に敷設されたかなり狭い暗黙的ガードレールの内側で生きることを強いられ、あるいは強いられていると思い込み、生きづらさを感じながら現実として甘受している人や、自らそのガードレールの番人にすらなってしまう人が沢山います。
真のダイバーシティの実現によって少しでも多くの人に自分のセンターラインを取り戻して欲しいと強く願います。それがDXの本質は人のデジタル化にあるということの意味でもあり、日本の浮上には欠かせないと考えるからです。
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