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「性弱説のすすめ」

私は性善説でも性悪説でもない、性弱説の人間観で生活をしています。

今から25年以上前ですが、「女神の天秤」というテレビ番組があり、犯罪者の人生を振り返りながら、何故犯罪を犯してしまったのかを考える番組でした。いつも観ていたわけではありませんが、ほぼいつも考えていたのは、自分もこの境遇に置かれていたら、犯人と同じことをしたかも知れないという事でした。

女神の天秤』(めがみのてんびん)は、1996年10月16日から1998年3月11日までTBSにて毎週水曜21:00 - 21:54 (JST) に放送された事件ドキュメンタリー番組である。

テーマは「犯罪、なぜ魔をさしたのか?果たして罪の重さを量るものは?」

オウム真理教ビデオテープ事件で打ち切られた報道番組スペースJ』の前半1時間枠の後番組として放送が開始された。
犯罪者の経歴を振り返り、何が要因で犯罪に走ったかを推察する。番組内で紹介された犯罪者は、阿部定のようなメジャーな人物から、マイナーな人物まで幅広い。番組開始時はデイヴィッド・バーコウィッツエイミー・フィッシャーなど海外の犯罪者が取り上げられたが、のちに日本国内の犯罪者が中心となった。

番組で放送される事件の概要や顛末を描いたVTRでは、知名度が高い事件の犯罪者(永山則夫など)以外は、犯罪者、被害者とも仮名とされた。また、紹介された事件も比較的近年に発生したものが多く、1974年に発生したピアノ騒音殺人事件をはじめ、1979年の「三菱銀行北畠支店籠城事件」や1983年の「練馬区一家殴殺ミンチ事件」など、凄惨な内容であり、また、事件関係者が健在という、デリケートな対応が必要な事件でも積極的に取り扱われた。

ロゴには、タイトル文字に天秤と剣を合わせたものが表現され、スタジオセットには正義の女神像(目隠しをし、右手に天秤を掲げる姿)が置かれた。

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また、自分や自分の身の回りでは、「わかっているけどできない。」「わかっているけどやってしまう。」という話しが山ほど。客観的にみれば決して悪い境遇でもないのに上をみて羨み、羨むだけで済まずに妬みに、妬みだけでは済まずに恨みにさえなるのも観てきました。また、癒えない渇きのように劣等感が優越感を求めて身勝手な物差しで威張り蔑む。他人の攻撃材料が見つかると寄ってたかって安全地帯から石を投げ、さも正義の味方のような気分に浸る、そんな卑怯者が溢れています。

生まれながらに善か悪かではなく、「全ては弱さからくるもの」と考えたほう良さそうだという結論に至りました。もちろん、自分自身についても徹底的に棚卸しました。そして、弱さを自覚し、弱さを認めたうえで、その弱さが悪さをしないように生きることが大切なのだと。

よく、人は私のことを強い人というような言い方をしますが、決して強い人間ではありません。

単にそれは、「卑下もしない。虚勢も張らない。小細工もしない。あるがままにありたいように堂々と生きる」ことにしたというだけです。

まあ、それができるから強いんだという人もいるわけで、それはそうかも知れません。

つまり、環境を整える側の人が留意すべきことは、善であれるように環境を整えるということが大事です。例えばオフィスであれば、以下のようなことに留意したいところです。

  1. 盗みたくなるような換金価値の高いものを目につくところに置かない。

  2. 雇用対象者の信用調査をしっかり行う。

  3. 美女を雇わない。

  4. 棚卸を励行し、必ず管理者が結果を確認する。

  5. 営業や調達などの取引において単独行動はさせない。

  6. 交際費など個人立て替え経費の使用明細を完全に透明化する。

  7. 人の悪評についてはしっかりと裏をとり、悪い噂を流布するような人は絶対に重用しない。

そして、個人としては、向こう(悪)に行ってしまった人とは付き合わない。近寄らせないことが重要です。若い時には、自分ならなんとかなると思ったこともありますが、とんでもない勘違いです。お付き合いにおける費用負担もさることながら、貴重な時間を失うだけになります。善良な面だけでお付き合いできる人に限定しましょう。(真に善良であるかの判定は困難)

ちなみに、以下のような人なら、積極的にお近づきになりたいですね!

  • 卑しさを克服し、透明公正簡素誠実な人。つまり、ありのままに生きられる人

  • 楽観的肯定的積極的で、成長意欲のある人。つまり、何事も楽しむ人

  • 不安不満恐怖欲望に支配されず、自立している人。つまり、行動する人

#ご機嫌に暮らす
#誇りを持って生きる
#性善説
#性悪説
#性弱説

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