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生活

週5の通勤も、もう間もなく1ヶ月を迎える。未だに慣れないなあと思いながらよたよた階段をくだり、通りを数分歩いていると、ガラス張りの牛丼チェーンがちらりと顔をのぞかせた。

わたしは、そんな店内の様子をひっそり見るのが好きだ。がらんと空いていたかと思いきや、翌日は打って変わって満席で、黒づくめのサラリーマンがすし詰め状態なんてこともある。日々、微妙に変化するのだ。

出社前と思われるOLさんが、膝を組んで紅しょうがをわんさか盛り付けていたときは、まじまじと観察してしまった。

こんな風に人の「生活」をついつい覗き見してしまうわたしだが、もうひとつ眺めていて飽きない光景がある。スーパーで買い物をする人たちだ。

スーパーには、この世のしあわせがつまっている気がする。「レタス、まだあったよね」「うん、まだある」と確かめ合いながら、買い物カゴに一つひとつ商品を入れるカップル。お菓子コーナーでエクレアとショートケーキを吟味する女性。冷凍食品と発泡酒をポンポン放り込む年配の男性。本当にいろいろな人たちが、いっしゅん立ち止まってはすれ違ってゆく。

その様子を見ていると、ああ、みんな「生活」をしているのだなあと思う。そして、ほっとひと安心するのだ。なぜか。

ほっとするといえば、先日、酒が好きな女性3人でしこたま酒を飲み、〆のラーメンを食べに行ったときの横並びに何だか落ち着いた。5,6席埋まればパンパンになってしまう店内に、ぽちょんとおさまる3人。目の前には、わんたんがぷかぷか浮いたおおきな鍋がぐつぐつ煮立っている。思わず「来世はわんたんになりたい」とつぶやいたら、2人とも「いいですね」「わんたんって何考えてるんだろう」などと答えてくれてうれしかった。

このとき、なぜだか強く「ああ、生きているなあ」と思った。うまくいえないんだけど、そんな瞬間はぜったいに逃してはいけない気がする。転がっているようで、なかなか転がっていないから。いつ、ふわっと消えてしまうかわからない、はかないものだから。


今日の牛丼チェーンは、だれも人がいなかった。その代わり、店の前の桜の木がはらはらと揺れていた。

毎日は連綿とつづく。けれど、ひとつとして同じ日はない。わたしはそんな日々をぎゅっと握りしめて生きていけたらなあと思う。

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