できることを、全部やる
誰かに力強くぎゅっと腕を引っ張られたような感覚で目が覚めた。8時だ。
実際のところ誰もわたしの腕など引っ張っておらず、カーテン越しにはただただ穏やかな朝の陽射しが差し込んでいた。
ラジオをつけると、市場では「ダチョウのマスク」なるものが人気で、4月まで欠品らしい。
免疫力が高いダチョウの抗体を精製・抽出。不織布フィルターに浸透させ、抗体マスクとして販売しているそうだ。
「ダチョウ?ガチョウ?」「ダチョウだって、何回間違えてんの!」パーソナリティふたりの小気味良い掛け合いがおもしろく、時折「ははは」と笑いながら聴き入ってしまった。
ひととおり聴き終えると、家の近所のカフェでモーニングを済ませ、スクールへと向かう。
実は、2月初旬から脚本について学ぶスクールに通い始めたのだ。
今日で3回目を迎えたのだが、実戦に即した「書き方」を学べるのはもとより「創作は自由だ」「人生はドラマであり、すべては物語になる」というのを知れたのが何より大きかった。
あとは、自分の引き出しを増やすためにも様々なものを観て、聴いて、読んで、人と出会って...。ただただひたむきに努力するしかないとポジティブになれた気がする。
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ここ最近、「良い文章とは何だろう」とずっと考えている。そんな折、角田光代著『ピンク・バス』を読み、アッパーをくらったような気持ちになった。以下、同作品より引用。
ぼんやりして駅を乗り過ごし、乗り換えて戻って来たときには日は暮れていた。会社帰りのサラリーマンが何人もサエコと一緒に改札を潜った。商店街の煉瓦を踏んで歩き、スーパーの白い白熱灯に顔を上げる。前を歩く後ろ姿のサラリーマンたち全員が、ネクタイをめくり、背広の肩に掛けていた。サエコは立ち止ってその光景を眺めた。暗闇に消えて行くいくつもの背広と、肩にちょこんとのったいろんな色のネクタイ。急に立ち止ったサエコにぶつかり、舌打ちをして追い越して行く男もネクタイをめくりあげている。
わたしだったら、きっと一行で完結してしまう文章が、角田光代さんにかかるとここまで膨らむ。
解像度が高いうえに観察眼に優れており、物事を切り取る視点や語彙、どれを取り上げても唯一無二のものがある。崩れ落ちた。
自分の力には本当に限界があると痛感すると同時に、わたしは今の自分ができることをぜんぶやりたい。
わたしの周りに起きたこと、見たもの、感じたことは自分だけのものだから。まだまだ語彙も表現力も足りないけれど、それだけは逃さぬように日々書き留めておきたいと思う。
今日習ったのだが、そんなネタ帳を「ミソ帳」と呼ぶそうだ。いつか発酵させるためにコツコツためておくもの。
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そういえば昔、友人がカメラスクールに通っていたのだが、一台のカメラを渡され「とにかく毎日撮れ」という課題を日々こなしていたらしい。
何気ない風景でも何でも、自分の視点や切り取り方を把握するための練習になるそうだ。
わたしは、そんな彼女が撮る気取らないけれどどこか毅然としたうつくしさが漂う写真がとても好きだった。今、その友人は写真とは別の分野でアーティストになり個展を開いている。
感性がひどく研ぎ澄まされている人だった。どうしたってわたしには持てない感性で、いつもいつも羨ましかった。
でも、ないならば、足すしかないんだよね。わたしは、日々書き続ける。ただそれだけ。
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