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ツール・ド・フランス出場者の心拍変動(HRV)


世間的には、私は自律神経系から見た体調を表す心拍変動(HRV: Heart Rate Variability)を用いたアスリートのコンディショニングに関する専門家として認識されています。
実際、過去にはこのテーマに関するセミナーを開催したり、依頼を受けて雑誌や書籍に寄稿したり、さらには電子書籍を執筆したこともあります。
特に電子書籍については、当時までに発表された学術論文を徹底的に読み込んだ上で包括的に記述した内容な上、後半には影響力のある方との対談記事を掲載したこともあり、発売から1年が経っても継続的に読まれ続けています。


専門家として世に発信する際には、「HRVは個人内、個人間のパフォーマンスと相関することはあるけれど、パフォーマンス指標ではなく、コンディション指標である」といったニュアンスの説明をすることがあります。
正直なところ、この説明はHRVを実際に使い続けていない人には混乱を招くというか、見聞きした直後に納得できる話ではありません。

そこで今回は、HRVはパフォーマンス指標ではないことを示す一例として、世界最高峰の自転車競技レースであるツール・ド・フランス(2020年)で12位(自己最高のパフォーマンスを発揮)に入った男性プロサイクリストのトレーニング期、競技期1(ツール・ド・フランス以前のレースがあった時期)、競技期2(ツール・ド・フランスがあった時期)にわたり、起床時のHRVを測定した研究結果を説明したいと思います。

なお、本記事におけるHRVとはRMSSDのことを指します。
そして、一般にHRVが高く、変動係数(CV: Coefficient of Variation)が小さい状態が望ましいと言われています。
この状態は、副交感神経の活性度が高く、日々安定している傾向を意味します。
逆に、HRVが普段に比べて減少したり、CVが大きくなることは急性疲労やトレーニング負荷に対して適応できていない状態だと言われ、こういう状態では優れたパフォーマンスが発揮できないと認識されています。


早速、この選手の当該シーズンを通したHRVを見てみます。

図1 シーズンを通したHRVの変動
Bourdillon, N., Bellenoue, S., Schmitt, L., & Millet, G. P. (2024). Daily cardiac autonomic responses during the Tour de France in a male professional cyclist. Frontiers in neuroscience, 17, 1221957. https://doi.org/10.3389/fnins.2023.1221957 (CC BY 4.0) のFigure 1 C


図1から明らかなとおり、トレーニング期(training block)は、低酸素トレーニング期間中(LHTL、LHTH)を含めて、高い数値にあります。
一方、競技期1(Block #1)に入ると、HRVは減少し、日々変動があるのが分かります。
そして、この傾向はツール・ド・フランスが開催された時期に入ってからも変わりません。
各時期の平均値(Mean)とCVは次のとおりで、ツール・ド・フランスが開催された期間中のHRVのバラつきが大きいことが分かります。
トレーニング期:Mean 96、CV 26%
競技期1:Mean 48、CV 56%
競技期2:Mean 46、CV 72%

こういった結果をもとに、論文の著者らは、「RMSSDのCVがパフォーマンスの低下を予測するのに役立つという先行研究の見解は、プロのサイクリストでは確認できなかった」とまとめています。
それで、この結論の前半からも示唆される通り、研究者の中にもHRVをパフォーマンスを予測する指標だと認識している人がいますが、今回の結果からも明らかなとおり、見かけ上HRVが悪いように感じても、高いパフォーマンスが発揮できることは起こり得ます。

HRVはコンディションを見積もる指標として活用すべきであって、パフォーマンスの優劣と結び付けすぎるのは良くないというのが私の見解です。

本記事は、「Bourdillon, N., Bellenoue, S., Schmitt, L., & Millet, G. P. (2024). Daily cardiac autonomic responses during the Tour de France in a male professional cyclist. Frontiers in neuroscience, 17, 1221957. https://doi.org/10.3389/fnins.2023.1221957」を改変したもので、CC BY 4.0 で使用されています。



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