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00_はじめに

「まじでお金がない」

 僕は、ロンドンのど真ん中で自分の銀行残高を見てそうつぶやいた。ロンドンの大学院を卒業し、そのままこの街で起業し二年。毎日がむしゃらに自分のビジネスを成功させるために走り回った。でも、目の前の数字が僕に現実を叩きつけていた。

 かつて日本で大ヒットした、自分の思い描く街を創るゲーム・シムシティとの出逢いをきっかけに僕の人生は変わった。『新幹線が停まる所』レベルの知名度であった僕の出身地・周南を変えてやるんだと意気込んで、日本の大学、そしてロンドンの大学院まで行って都市計画について勉強しまくった。ただ僕はある日をきっかけに僕が本当にやるべきことに気づくことになる。

 毎年洪水に見舞われているジャカルタの街を変える大学院のプロジェクトに参加した時だった。僕はこのプロジェクトのために、お金も時間も費やしたし、自分で言うのもなんだけどかなり良いプランを作り上げることが出来た。

 しかし、実際自分のプランをプレゼンテーションした時に衝撃の事実をジャカルタ側の街の人達から言われることに……
 「毎年洪水には確かに見舞われているけど、実際困っている訳ではないんだよ。洪水が来ると、子供たちはプールみたいに街を泳ぎ回って楽しんでいるし」

 (おいおい!ウソだろ!?)

 でも実際に、これがリアル市民の声だった。僕が『洪水に毎年見舞われている街』と聞いた時に勝手に『洪水に毎年見舞われて【困っている】街』って解釈しただけで、実際にその土地に暮らす人たちに聞いた訳ではない。僕は『街を幸せにする』ことを表面的にしか見ていなかったんだ。建物を変えることだけで、街が幸せになるわけじゃない。

「街や村に暮らす人たちのコミュニティを、デザインすることが必要だ」

 それに気づいた僕は、まずは僕が暮らす街ロンドンに住む人たちを幸せにするためには何が必要なのか考え始めた。人が幸せを感じる瞬間ってやっぱり、自分の好きな事をやっている時。ただ、自分の好きな事を仕事にしようとすると資金が必要になってくる。僕の周りにいたひとたちでも「お金がないからできないんだよ。」と言う話をよく聞いていた。そこで僕は、

「なんだ!単純じゃないか。お金を集めるためのクラウドファンディングの会社を立ち上げて、みんなを幸せにしよう!」

と思いついたわけ。『石橋を叩いて、分からないから渡ってしまうタイプ』の僕は、「お金がないから好きな事が出来ない」と言った友人たちのためにクラウドファンディングを始めたんだけど、結局彼らがその後、言い放った言葉は、「時間がないからできない」だった。

(なんだよそれ!)

 そして僕は新たな気づきを得ることになった。やりたいことをやるかやらないかはお金の問題じゃなく、後ろから背中を押してくれる後押しがあるかどうか、そして新しいことを始める時に右腕となるサポーターがいることが大事なんだと。

 それから僕は、お金を集めるという活動から、人を集めるという活動にシフトすることになった。第二章のスタートだ。まずは、『ニューアイデアクラブ』という何かしたいともやもやしているひとたちが集えるコミュニティをつくり始め、その後実際につながるだけではなくちゃんと一緒になにか行動が起こせる場所の提供をする目的で僕が企業を周り、彼らが必要としているプロジェクトの人材をコミュニティ内から募集し、プロジェクトを達成させるという活動だ。最初は、実績がないのでボランティアという形でのスタートだったけど、i‐Phoneのアプリを制作したり、イギリス企業・i-geniusやフランス企業・MakeSenseの日本展開を手伝ったり、アメリカ企業・Yelp!のロンドン展開を手伝ったり、プロジェクトに参加した、各分野で才能を持ったメンバー達は、たびたび激闘を繰り返しながらも、楽しく目標達成に向けて走ってくれた。

 彼らは、楽しくて幸せだった。楽しいことをするだけなら、お金が必要ないことも分かった。というか生まなかったと言ったほうが正しいかもしれない。そして僕は銀行預金の残高が瀕死状態という現実を叩きつけられることになる。それでも、僕には、諦めて今すぐ日本に帰るという選択肢はなかったんだ。なぜなら、何で自分のビジョン通り、たくさんのひとが関われて幸せになれていたのに生活するためのお金が生み出せないのかっていう答えも出ていなかったし、これが失敗なのかどうかなんてまだ分からないと思ったから。そうは言ってもお金がない。そして僕が思いついたのが、

 「よし、ホームレスになろう」

考え始めて五分での決心。失敗しているか、してないかは、ある一定のラインを飛びぬけてみたら見つかるかもしれない。だから、今まで通り(いやそれ以上の方法で)続けることで答えを見つけようと決めたんだ。お金は全くないので、もらえるモノ、借りられるモノ、交換できるモノ、それで生活をすることにした。とにかくひとに頼って生きることにした。それを異国の地であり、個人主義な街・ロンドンで実行しながら。もしかすると、この活動を『ヒモ』と呼ぶ人がいるかもしれないけど、僕はこの活動を『ホームレス社長』と名付けて、一五〇日間の旅に出ることにした。


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株式会社sakasa | sakasa inc.

クリエイティブディレクター | Creative Director

藤本太一 | TAICHI FUJIMOTO

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