足の骨を折って気づいたこと。
こんにちは!
足折りました!
人生初の骨折でございます。
骨って意外と簡単に折れるもんなんですねー
いつも通り晩御飯食べに行ったんですよ。スケートボードで。
まぁ飯食べるだけやし、カメラ置いてこかー…これがあかんかった。
やっぱカメラ持ってると緊張するんですよ。慎重になる。
無いと開放感で調子のりたくなるじゃないですか?
そしたら気緩むじゃないですか?
スケートボードでケガしたって言うとちょっとカッコよく聞こえますよね?…僕だけかな?
もうね、恥ずかしくなるくらいどんくさい感じやったんです。
ただただプッシュしてて、ちょっとふらついたから飛び降りたんですよ。
そしたら足の着きどころが悪くて転倒!
ほんま泣きそうなくらい痛くて、心打ち砕かれたw
でも、お腹すいてたし晩御飯食べいかなってことで、気を取り直して目的地へ
その道中がホンマにつらかった。。。足着くたび激痛やし、足めっちゃはれ上がってるし…
やっとの思いでたどりついた店。
入った瞬間に友達たちが「足やばいやろw先病院いけよ!」ってことで病院へ
病院で先生が僕の足を見て一言「絶対折れてるね」
そんなわけで骨折しました。
人生初のギブス生活。
想像以上にしんどい。
何するにも3倍の時間がかかる。
100m歩いては休憩が必要やし、長時間立ってるのがきつい。
そんなギブス生活をしている中で気づいたことがあります。
「不自由を知って、自由を実感する。」
これまで何気なく生活してた。
歩くこと、階段を上る、着替える、風呂に入る…すべてのことに何ら不自由さを感じてなかったし、当たり前だった。
でも、足が思うように使えなくなった今、この当たり前だった日常のすばらしさを実感した。
自由に歩けるし、階段を上るのに気を使わなくていい、着替えだっていちいち座らなくてもいい、風呂だって好きなタイミングですぐに入れる。
健康体でいることってめちゃくちゃ素晴らしい!
そんなこと当たり前やんって思うかもしれない。でも、僕はそんな当たり前を意識したことがなかった。
おそらく足を折らなければこの先も意識することは無かっただろう。
だから、この自由さに気づくこともできなかったと思う。
この自由は日常の中にも溢れていると思う。
当たり前だと思っていることが、実はとても恵まれている。
そして、その逆も然り。
当たり前だと思っていることが、実はとても不自由なことだったり…
その中で一番の不自由さは「言葉」なんじゃないかと感じている。
言葉を使えばコミュニケーションをとれて、とっても便利なツールだと思っているが。
言葉があるからこそおかしくなってしまう場面もあるんではないだろうか。
もし仮に言葉がなく、テレパシーでコミュニケーションをとる世界だとしたら。
すれ違いや、勘違いなど間違った伝わり方はしない。そして、言葉では上手く伝えられないことでも、想いをまっすぐ伝えられる。
言葉があることで、上手く伝えようとすればするほど、伝わらなくなってしまうことは無いだろうか。
言葉の解釈の違いにより、誤解が生まれることは無いだろうか。
もしかしたら、言葉を手に入れた僕たちはとても不自由になってしまったのではないか…
言葉を手に入れる前に戻ろうじゃないか!
僕らはその昔、きっと「ウホッウホッ」言ってただろう。でも、それでも伝わってたんだよね。
それはきっと「想い」を伝えようとしていたからだと思う。
ウホッの中に「これ食べたい!」とか「これやりたい!」とか、想いを相手にぶつけてたんだと思う。
言葉を手に入れた今、言葉で伝わることに胡坐をかいて、想いを伝えることを疎かにしていないだろうか。
正直、僕はそうだったかもしれない。
一生懸命、上手く伝えようとしていた。だから、技術を重視していたように感じる。
この際、上手く伝えることはあきらめよう。
その代わり、想いを伝える努力をする。
きっと、この他にも色々あるだろうな、自由なようで不自由なこと。
そんな気づきもあり、日常のすばらしさを実感しているギブス生活です!
今しかできないことを楽しみたい!
それではまた!
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