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「好奇心」と「理性」の境界線

こんにちは

皆さんは怖いものってありますか?


僕はどうにも高いところが苦手なんですよ…

だから、遊園地で一番嫌いな乗り物は「観覧車」だし、団地とかの高い建物の廊下とかめっちゃ嫌。

そわそわしちゃうんですw


それなのに会社の喫煙所は9階建ての屋上。嫌がらせかよ!

いつもアホな話して飄々と余裕ぶっこいてる風なんですけど、内心めちゃくちゃビビってるんですよw


そんなチキン野郎な僕ですが、喫煙所に行くたびに思うことがあります。


「このまま走って飛んだらどんな感じなんやろか」


喫煙所まで上がる非常階段の手すりは腰までしかなく、すこし身を乗り出せば落ちるくらいのもの。

だから、飛び越えるなんて簡単。

助走でもつけて飛び出せば結構遠くまで飛べると思うんですよ。

そんなこと考えてるくせに階段を降りるときは、足がすくんでるんですからおかしな話ですよねw


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I CAN FLY

なんで、そんなこと思うのか考えた。

今の生活に不満があるとか、病んでるとかそんな深刻なんじゃないし。

自殺願望があるわけでもない。

答えはいたってシンプル「気持ちよさそう」だから。

このまま走って飛びだすと、どんな感じなんやろ?めっちゃ気持ちよさそうやな。

ほんと大した理由じゃないんですよ。


じゃあ、逆になんで飛ばないかも考えた。

これまたシンプル「死にたくない」から。当たり前ですね。

この高さから飛べば確実に死ぬ。

他の感覚とか気持ちよさは分からないけど、これだけは分かる、絶対死ぬ。


飛び出した後、落下して、コンクリートに打ち付けられてグチャグチャになる。その結果が見えるから飛ばないんだって気づいたんです。


だったら、死なない高さから飛べばいいんじゃないか。命綱つけたらいいんじゃないか。とも思ったんだけど、きっとそれじゃあ意味が無いんだろうと思う。

この高さ、この状態で走り出して飛ぶことに惹かれているから。

今この瞬間とは違う要素が入ってしまうと、次はもっと高くとかこれが無ければって考えだして、最終的にはタバコを吸っているときの僕にたどり着くと思う。


「好奇心」と「理性」とは

この気持ちはなんのか。

そう、これは「好奇心」だ。

自分の知らないことを知りたい、感じたいという欲求であり衝動。

それを止めているのは「理性」だろう。

それをしたときに得られる結果と失うものを天秤にかける。そして、失うものの方が大きいことに気づき実行しない。


このやり取りは日常生活の中に溢れている。

新商品のおにぎりを見たとき、素敵な喫茶店を見つけたとき、めちゃくちゃ好みの女の子を見かけたとき、面白そうな仕事に出会ったとき…

美味しそう食べたいな、雰囲気最高入りたいな、めっちゃ可愛い声かけたいな、オモロソウやんやってみたいな…

不味かったらどうする?ツナマヨのがいいかな、店員さんが感じ悪かったらどうする?いつもの店のがいいかな、無視されたらどうする?傷つきたくないし辞めとこかな、給料下がって食べれんなったらどうする?今のままでいいかな…

この時、この時好奇心が勝てば実行して、負けたらやらない。


日常はこの繰り返しのような気がする。

そして、理性が常に勝ち続けると、「いつもの日常」の完成。

いつものおにぎりを食べて、いつもの店でコーヒーを飲み、いつも遠目でかわいい子を眺める、そしていつも通りに仕事をする。


やばい!

いつもの日常ってめっちゃつまらんやん!!


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「好奇心」と「理性」の境界線は何処か

じゃあ、「好奇心」より「理性」が勝るタイミングはどこなんだろうか?

やりたくてやりたくてウズウズしてるカラダを抑え込む境界線はどこなんだろうか?

不味いものを食べたくない、居心地悪くなりたくない、恥をかきたくない、今の生活を失いたくない。

きっとそれは、失敗したくないんだろう。


では、失敗とはなにか?

不味いものを食べるのは失敗?居心地悪い店に入ると失敗?恥をかくのは失敗?今と違った生活は失敗か?


そんなことない。

不味ければもう選ばなければいいし、別の店を探せばいいし、別の子に行ったっていいし、また別の面白そうなことを探せばいい。

好奇心に従った結果、自分の知らないことを知って、自分の世界が少し広がる。

それは、成長だ。

だから、むしろ成功なんじゃないだろうか。


じゃあ好奇心に任せて何でもやってみるといいのか!?

それは違うんだと喫煙所の僕が教えてくれた。

死んでしまうからだ。


なぜ僕は死にたくないのか

じゃあ、なんで「死ぬ」のは嫌なのか。


僕にとって死ぬのが嫌な理由は簡単だ。

死んだら他にやりたいことができなくなるから。それに、大切な人が悲しむことを考えると死ぬのは嫌だ。

やりたいことは他にもいっぱいあるし、これからもドンドン見つかるだろう。

僕の愛する人達が悲しみ、その後のことを考えると死ぬようなことはしたくない。


どうやら僕にとっての好奇心と理性の境界線は、「やりたいことができなくなること」と「大切な人が悲しむこと」のようだ。

それ以外の「不味いものを食べたくない」とか「居心地悪くなりたくない」「恥をかきたくない」は言い訳なんだろう。

自分で作り出した幻想だ。

失敗も捉え方次第で成功になる。


だから僕はこれからも好奇心の赴くままに生きていこうと思う。

ただし、境界線は見極めつつ。


皆さんの境界線はどこですか??




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