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日記 年輪

・午前中友人と散歩の約束をしていたが、休んでしまった。
死ぬほど体調が悪かったわけではないのだけれど、どうしても外に出たくないという気持ちが勝って、気が付いたらLINEで謝罪のメッセージを打っていた。
昨日の夜も憂鬱が重すぎて、「助けてくれ」とか「もうだめだ」と喚きながら眠剤で強制終了させたのを覚えている。多分22時頃。
LINEを打って、相手の返事を確認してから二度寝し、気が付いたら昼の12時。
起きているより寝ている方が楽だからという惰性の睡眠だった。
寝ても覚めても自分に嫌気がさす。
12時半頃のろのろと起きて祖母と昼食を食べる。洗濯を干す。
朝飲むはずの薬を飲んで、また横になる。
本を読むのも動画を観るのも興味が湧かなくて、夕飯の時間まで天井を見て過ごした。
憂鬱が酷いとか、不安が強いとかではなく、無気力さだけが身体に充満する。
「今の私より多肉植物のほうが人間に近いかもしれない」などと考えていた。

夜21時頃、母が誘ってくれたので、近所のスーパーまで散歩に出掛けた。
昼間の暑さが過ぎ去り、冷ややかな風が優しく身体を包み込む。
私の家の近所は梅が沢山植えられている場所がいくつもあり、そこを通るルートでスーパーに向かった。
憂鬱の時は花や食べ物の匂いって無性にむかつくけど、夜の時間はそれを受け入れることが出来る。
特に夜の木を見ていると気分が落ち着く。
輪郭が街灯に照らされている植物はキチガイにも優しい。
その輪郭や花びらや葉を見ていると、深海からぽこぽこと気泡が上がってくるように世界への愛が上がってくる。
キチガイはすぐ自分と世界を憎んでしまうけど、愛はそんなに遠くにあるわけではないんだって安心する。

母の隣を歩いているけど、母は私を独りにしてくれる。
私は部屋にいるときよりもずっと自分に向き合うことが出来る。
話したくない時は話しかけてこないし、話したくないことは話さないでも許してくれる。
歩きながら、私はずっと木の年輪について考えていた。
木は外側が新しく、内側は古い。
木は身体の中に自分の死体を埋め込んでいる。


・身体の中に死んでいる子どもの自分を守る木に似ているわたし

・真下の心臓に湛えてる死臭 朽ちた年輪を見て頷く

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