日記 台所で服従のポーズ

・昨日、中学3年生の時仲が良かった友人と遊んだ。
その友人の無理に話したり笑ったりあまりしない自然さや、話し方や仕草、小説や漫画との向き合い方がとても素敵で、私はその友人が凄く好きで、彼女が2,3週間LINEを未読スルーし、私が圧にならない程度間隔を空けて返信し、何とか遊びの約束をするという流れである。
彼女は正規社員として働いているのだが、お金の使い方とかが無職の私と似ていて、そこも苦痛にならないのも助かる。

昨日は私の部屋に誘って、私が作ったサンドイッチを食べながら、それぞれ持ち寄った勧めたい本をプレゼンし合い、黙々とそれを読んだ。(それはそうと、この「黙々(もくもく)」って、擬態語みたいだなと思った)
時折、「このシーン最高だね」とか「この言い回しはまるで詩のようだね」とか言ったり、その作者の宗教や哲学や歴史的背景を話し合ったり、眼鏡を通して見える肌の屈折具合について語ったりした。
一人でいるよりも本に真摯に向き合えて、集中できた。
彼女といると、本をもっと好きになったり、私が私自身をもっと好きになれる。
彼女もそうだったら良いなと思う。

私は最終的に和山やまさんの「女の園の星」の3巻(1,2巻はその場で読み終えた)と湯本香樹実さんの「夏の庭」とよしもとばななさんの「キッチン」を借りた。
彼女は小川洋子さんの「シュガータイム」を借りた。

この「キッチン」有名過ぎて読んでいなかったけど、本当に滅茶苦茶面白かった。本当にどこのページをとっても面白くて、頭を抱えながら読んだ。これを書いた時、よしもと(当時は吉本)さんは23歳だ。
私の一つ年下だ。え~~~~~~~~(汗)凄すぎる(汗)(汗)
友人には「返すのはいつでも大丈夫」と言われていたが、一日で読んでしまった。


最後の親族だった祖母が亡くなった主人公は花屋で働いている雄一の家でしばらく暮らすことになるのだが、その時の安心感が描かれている文章がある。

その台所と同じくらいに、田辺家のソファを私は愛した。そこでは眠りが味わえた。
草花の呼吸を聞いて、カーテンの向こうの夜景を感じながら、いつもすっと眠れた。
それよりほしいものは、今、思いつかないので私は幸福だった。

キッチン  よしもとばなな

最後の一文が特に好きだ。「これ以上が思いつかないほど幸福だった」でも「満ち足りた幸福感があった」でもなく、「それよりほしいものは、今、思いつかないので私は幸福だった」という表現が良い。
永久的な幸福ではなく、瞬間的な幸福。不安定な中で安定している幸福。

よしもとさんが描く一人の孤独と誰かといる時の孤独の心理描写があまりにリアルで、そこで描かれるもの悲しさや惨めさが思わず感動してしまうほどだった。終始帯びる静けさが、それらもの悲しさや惨めさを美しく飾っていた。でもそれは、身勝手な美化ではなかった。
よしもとさんの作品、全部読みたいと思う程、好きになってしまった。
本当に面白かった。思わず服従のポーズ。

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