日記 短歌の海

・新しく出された薬がいつも行く薬局で取り扱ってないらしく、別の薬局を自立支援の指定医療機関に追加しなければいけないことになった。
人が多いところに長い時間いると発狂する心配があるので、母についてきてもらった。
私の地域の区役所の障害課の人たちは皆さんすごい親切だが、すごい大きな声で怒りながら話すおじいさんとか、陰謀論について話してる人とかいるから気は抜けない。
でも今日はスムーズに手続きすることができた。
役所の手続きって、極めて高度で文化的な行為だ。
帰り道にシュークリームを買ってもらって帰った。


・穂村弘さんの「はじめての短歌」を読んでいる。穂村さんが短歌を書くのではなく、一般公募で集まった短歌を紹介し、改悪例(普通の人だったらこう書いちゃうよねってやつ)を穂村さんが書き、並べていかにその短歌が良いかを解説していく本だ。
短歌の本なのに生きることの話が出てきたり、亡くなった人を懐かしむ感情についてだったり、ダンゴムシを30分探す人がいかに怪しまれるかという話だったり、穂村さんの中の短歌の世界の空間の広さが垣間見える本だ。
短歌のこと、何も知らない私でも「短歌っていいな」って素直に思える。

【目薬は赤い目薬が効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす】河村裕子
【目薬はビタミン入りが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす】改悪例1
【目薬はVロートクールが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす】改悪例2

中年の女性なんかにこういう人っているんだよね。 「赤いのが効くんだよね~」とか言いながら、ずっとさしてる目薬の名前を絶対に覚えない。
うちの母もそういうおばさんで、思春期のぼくは非常にイライラして、「赤いから効くんじゃねえよ」とか言って、「ビタミンが入っているから、なんとか作用によって効くんだよ」とか言っても、母という人は覚えない。いつまで経っても、赤い目薬と呼んでやまない。 社会的な愚かさがそこに集約されているような気がして、イラッとくる。
ところが、母ももう数年前に亡くなりましたけど、今となってみるとそういうところが懐かしく思い出される。生きているときムカついた、イライラした部分が、死んだあとは何か、彼女だけの固有の性質として、思い出されてならない。
もしもあのとき母が、「Vロートクール効くのよね〜」と言いながら目薬をさしていたら、「母はVロートクールが好きだったなあ」と、懐かしく思い出しはしない。名前を覚えずに赤い目薬と呼び続けたから、その目薬を見るたびに、「ああこれ母ちゃんの赤い目薬だ」と思ってしまう。

はじめての短歌 穂村弘


フランクな書き方と、絶妙な共感が短歌の敷居を低くしてくれていて、本当に助かる。
特に、「社会的な愚かさがそこに集約されているような気がして、イラッとくる。」ってところが良い。母親に対する絶妙な苛立ちが感じられて。
いつかGRAVITY(私が主に使っているSNS)で朗読会とかしたい。(それはそうと、GRAVITYってTwitterとかで滅茶苦茶見下げられてるし鬱病の巣窟みたいに思われてるから、今まで恥ずかしくて「SNS」としか言ってこなかったけど、Twitterは見たくない情報が多すぎて嫌いだし、私がふわふわと呟いてるのをnoteを読んでくれてる人にも見てもらいたいと思うようになったので書くことにした。夜の植物って検索したら出てくると思います。)


・正直、最近書く欲が全くなくて、そういう時に書いた文章って後から読んでも全然面白くないから、誰のためになるんだろうとか考えてしまう。
でも、こうやって日記を書くと、あれをしたなこれをしたなって思い出せて、自分が無為に時間を過ごし、ただ惰眠を貪っていたという勘違いをしなくて済むから助かる。
冬は死なないだけ偉いって思うのも良いけど、できることならひとつだけでも何かしたという満足感の中で夜を過ごしたい。
せっかくなんとか生きているのだから、幸福でいたい。
今日は区役所に行き、本を30ページほど読み、寝て、筋トレをし、歯を磨き、お風呂で気が済むまで泣きました。おやすみなさい。

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