「話し合いの作法」 期待しすぎないスタンス
私は、2015年に新卒でNPO法人に入職し、ボランティアの大学生と青少年向けのいろんな事業・サービスを作りながら、ボランティアの大学生自身の成長に関わる仕事を8年以上してきています。
ちょうど週末の2日間、親しい組織の全体研修に混ぜていただき、FG(ファシリテーショングラフィック)の手法を用いて、支援・サービスのあり方について対話をたくさんしたので、そこで感じたことについて書いてみようと思います。もしよければ最後までお付き合いください。
2日間、組織外の研修?合宿?に参加してきました。なかなか文化や言語のちがいもあって、インストールするのが難しかった印象です。
今日は、何が難しかったのかという話とわからないですが、その乗り越え方みたいなことについて、触れられるといいなーと思います。
○文化・風土のちがいの難しさ
同じ日本語を使っているのはまちがいないですが、そこで使われている言葉の意味や解釈が大きくちがいました。
言葉って、よい・わるいではなく、浅い言葉と深い言葉があります。
浅い言葉とは、解釈がズレにくい言葉のことで、わかりやすい例でいうと「数字」などがそれに当たります。
日常で使うような「モノ」も比較的認知度が高いモノについては、全く同じ映像を描いて共有することは難しいかもしれないですが、「同じようなもの」や近しいものを想像するのはそこまで難しくありません。
一方で、深い言葉はいわば曖昧な言葉で、人によっていろんな解釈ができる言葉も存在しています。「主体性」みたいなのがそれに当たります。
それこそ、「支援をする」「主体性」みたいな言葉が、要するにそれって一体全体何のことを言っていて、具体的に何をすることを呼ぶのか、みたいな話を共有するのが難しいわけです。
そもそも、大前提としては、組織内にいる人同士でもその共有・認識をそろえることが難しいからこその2日間だったわけですが、中にいる人同士では共有しているあたりまえというか、風土・文化みたいなものがないことは、さらに難易度が高まります。笑
と言っていても始まらないわけでありますので、そこから進まねばならないわけです。
○ある意味、「お互いに期待し合いすぎない対話」
みたいなことが大事なんだろうと思います。
決して、「期待しない」というわけではなく、対話を通してお互いを理解するのって時間がかかりますよね、という前提をもっておくことが重要なのかなーと思います。
「自分の思っていることを理解してほしい」という期待がふくらんでしまうと、「なんで理解してくれないの?」という不信感が募りやすくなり、「この人はわかってくれない」がシャットアウトにつながり、対話の機会が減ることになります。
何より未来を壊すのは「相手へのあきらめ」であって、そういう意味では「期待」と「あきらめ」は表裏一体なものなんだと思います。
立教大学の中原淳先生も、「対話の8つの要素」という表現で、対話の本質について表現されています。
自分の中では、「これだ!」と思ったものであっても、それは相手にとっては別の形でケリのついているテーマであって、ケリがついていると思っているものを、「あれ、もしかしてちがうのかも?」と思い直してもらうところからのスタートでもあるのかもしれません。
そんなことを1つ1つ重ねていかないといけなさそうだということをとりあえず理解した2日間でした。
現場からは以上です!
今日も皆さんにとって、すてきな1日になりますように。
「人の育ち&チームづくり」とは?
これは、私が働く大学生主体のNPO法人にて、大学生とともに事業実施をする中で感じたことや気付いたこと、またチームで活動する中での気づきや学びを共有したり、チームとしていま直面している課題やこれからについて共有したりしながら、ジブン自身も、読んでくださっている皆さんにとっても、チームづくり・コミュニティーづくりについて学びを深めていけたらと考えています。
私が働くNPOではたくさんの大学生が活動しています。学年もバラバラで、入りたての1年生の子もいれば今年が最後の1年!ということで意気込む4年生の子までいます。
世の中にはあまりない、4年ですべての人が入れ替わるという不思議な組織でもあって、「学生(先輩)が学生(後輩)を育てる」という文化を継承しながらやってきている組織でもあります。
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おいしいお酒を飲んで、ニヤニヤしながらまた今日も生きていきたいです!