2%の有病率(斜視)を引き当てたわたし

ここでは、私の容姿コンプが生まれたバックグラウンドについて書こうと思います。

どうしてこんなにも容姿に執着してしまうのだろうか。自分でもよく分からない。
原点を辿るとすれば、斜視(眼球が動かない病気)で幼い頃からずっと容姿のことでからかわれてきたことでひたすら自己肯定感がすり減って行ったことが原因だと思う。私は小学校で早くもメンタルがやられ、中学受験をしてある程度質の良い環境下に身を置くことにした。もちろん親にはいじめまがいなことを受けてたから環境を変えたいなど言えるわけもなく、兄が受験していたから私も受験したいと説得してなんとか成功した。
恥ずかしい話だが、私が自分が救い用のないブスだと気づいたのは中1の時。はじめて彼氏ができた年だ。別れた時、彼氏が友達に自分のことを「近くで見るとババアみたい」「ヤレると思ったから付き合った」等と言っていたことを風の噂で耳にした。私は彼氏にフラれたのだが、フッた理由が私の親友(めちゃくちゃかわいい)を好きになったからだった。悔しくてしょうがなかった。結局可愛い子には勝てないのだと思った。そこから自分の顔とじっくり向き合うべく何十枚と自撮りをして、相手から見える顔を知るために全部の写真を反転させ、現実と向き合った。鏡で見る自分と打って変わってあまりにもブスだった。そこにある感情はただの絶望だった。こうして私は、中1にして顔面至上主義の学生生活を送る上で私は人と交際する資格はないのだと悟った。そして、他のかわいい女の子たちとは違って人権が無いことを理解した。私は、可愛いどころか、普通でもなかった。本当に救いようのないブスだった。
そこからしばらく恋愛を諦めていた。
しかし、また中3の時に友達の延長線上のような形で彼氏ができた。勿論、また同じことの繰り返しだった。別れた後よからぬ噂を耳にして、元彼はすぐに才色兼備のマネージャーに乗り換えた。また可愛い子に対して昔と同じような敗北感を感じた。
そして高校にあがった。高校からは仲の良い2人の女の子と3人グループで3年を過ごした。ただ、これが私の自己肯定感をどん底に突き落とす最後の決定打となった。この2人も信じられないくらい美形だった。1人は坂道アイドル系の顔でしっかりした子、もう1人は女優の杏に似た品の良い子だった。勝ち目がなかった。
男子と私たちのグループで話す時、決まって私は空気みたいな扱いで可愛い2人にばかりに言葉のキャッチボールが投げかけられた。いつも私は外野のベンチだった。私が気になる男子と教室で2人きりになった時、「〇〇(←坂道アイドル系の顔の親友)ってかわいいよな」と言ってきた。ほんと、かわいいよねって相槌を打つしかなくて胸が締め付けられた。そして、格差を感じる経験は男子相手に限った話ではなかった。案外同性の女の子こそ「かわいい」に正直なのだ。いつメンの3人で一緒にいる時にほかの子が自分以外の2人のことだけをかわいいー!と褒めることがよくあった。これの積み重ねはみんなが思うより辛いものだ。たとえ間接的な差別であっても、攻撃力は軽減されるものではない。悪気のない無意識下の明らかな対応の違いが私を苦しめた。特に印象に残っているのは、杏似の親友と一緒にいたある女の子のSさんに「(大森)はうちらの引き立て役だよねー!あ、冗談冗談ー!」と言われたことだ。明らかに普段から私を下に見ていないと出てこない言葉。確かにSさんはめちゃくちゃ可愛くてぐうの音も出なかった。本当に殺意が湧いたし、同時に希死念慮も沸いた。やっぱり、勝てない。これに尽きた。
修学旅行の男女のダンスのペア決めでも、1番最初のあみだくじで美女とやることが決まっていた男がやり直しの2回目のあみだくじで私とペアになるのが確定した時、彼が「マジで最悪」と男友達に愚痴っているのを耳にしてしまった。心の中でずっとごめんなさい、ごめんなさいってただ唱え続けるしかなかった。本当にブスは生きているだけで人に迷惑をかけてしまうのだと思った。しまいには、陰で「寄り目女」みたいなあだ名を男子たちの間で付けられていることも発覚して、どうしようもなく生きるのが辛かった。高校生にもなってまだ容姿イジリかよって呆れると同時に、やっぱり少なからずダメージを受けてしまった。容姿や持病のことに無神経に触れてこないような物分かりの良い人たちが多い環境に身を置くために中学受験したのに、あの努力はなんだったのかと虚しくなった。
高三のときはマスクを外すのが嫌すぎて学校で水を飲むことが出来なくなっていた。水分不足からか、尿検査では3回連続で蛋白が出て市立病院に連れて行かれるといったこともあった。学校でのお昼は喉を通らず、自分で言うのもアレだが、ガリガリだった。1秒でも早くマスクがつけたかったし、心底自分が大嫌いだった。私は整形をして顔を変えることを決心した。
しかし、現実はそう甘くない。私は整形ではカバーできないほどのゴミポテンシャルだった。整形するにも、効果が出やすい顔、効果が出にくい顔、後戻りしやすい顔などがあるのだ。私は圧倒的に後者だった。結局整形はしたけれど、案の定大した変化は見られなかった。もう、打つ術がなくて笑えてくる。次の整形への資金が欲しくてパパ活やエロ配信にも手を出したこともあった。可愛い子はこんなことしなくても簡単に幸せを手に入れられると思うと本当に憎い。たぶん私は、もう外見も中身も汚れてしまったのだと思う。底辺にいるのだと思う。分かってるのに、どうしていいか分からない。誰かに正解を教えてほしい。

まあともかく、私はこんなトラウマを抱えてもうかれこれ4年ほどは彼氏がいない。そして今、大学生。色々あって年上のセフレみたいな人ができた。所詮セフレ身分の私が、彼にうちの前で人にあんまりブスって言わないでって意味不明なお願いをしても受け入れてくれて、思ったより優しい人だなと思ったしそこから信頼度が増した。受け入れてくれる人もいるんだっていう経験が少し私の気持ちをラクにしてくれた気がする。ある時、彼に「大学生の時の俺だったらお前に見向きもしないよ。今はまあ顔が全てじゃないってのが分かってるからいいけど」そんなようなことを言われた。悪気がないのは分かってるのに、どうしても過去の経験から劣等感が込み上げた。やはり大学生は見た目が100%なのかもしれない。なんといっても、これを言う彼も、可愛い子たちも、どちらも全く悪くないという事実が辛い。私はこの屈辱感をどこにぶつけたら良いのだろうか。誰のことも責められない理不尽な世界と、何かを機に定期的に生まれる言葉にできないようなグジャグジャの感情に私はどう向き合っていけばいいのだろう。さすがに誰かのせいにしないと辛すぎてやっていけないよーとか思う。でも、人のせいには絶対するべきではないし、ラクになるにはやっぱり自分のネガティブ思考のせいなのだと受け止めるしか選択肢はないのだろうか。とりあえず今、私は背負いきれない感情をここに吐き出している。親にも友達にも誰にも言えなかった感情だから、吐き出せて少しスッキリした気もする。
これ読んだってきっと誰もしあわせにはなれないけれど、容姿で悩んでる子が共感してくれたり、無意識下の対応の差で人を傷つけてるかもってハッとしてくれる人がいたらいいなとか思う。言葉は想像以上に人を変えてしまうし全然殺せるから、私自身も気をつけていきたい

ps.自分よがりな記述ばかりですみません。ここまで読んでくださりありがとうございました。いいねはとても励みになります、強く生きます


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