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[時間は存在しない]のに今を生きられない人へ:現状打破へのマインドセット

・今現在に集中すればすべてが変わる

困難に直面した時、未来や過去ではなく今現在だけに集中する事で現状を打破するマインドセットについて書いていきます

カルロ・ロヴェッリの[時間は存在しない]という本があります
アイシュタインの相対性理論によっても、時間は変化する相対的なものであると考えられているそうです

また我々は時間が川のように流れていると考えていますが、実際には主観は静止したフィルムのコマのように分断されており
我々の知覚能力では、その連続を動画の様に捉えることしかできないとも言われています。つまり時間流れ自体が錯覚という訳です

ニュートン力学的にも、過去と現在と未来は区別できず、
時間というもの自体が我々の知覚による錯覚だと書かれています

正直自分は本質的な部分は理解できていませんが、
時間なんてない。と言われても感覚的にはまったく掴めないですよね。

・時間は未来から流れる

これは初出不明ですが、スピリチュアル勢の方々がよく使っている言葉です
おそらくですが二重スリット実験(量子力学における粒子と波動の二重性を示す実験)などの難解な神秘性をうまいこといい感じの言葉に解釈しているものと思われます
また苫米地英人さんなどの影響力のある方がズバッと言い切ってしまうため言葉だけが一人歩きしている印象もありますね

スピリチュアル的な解釈は置いておいてもう少し考えます。
我々の意識は時間の中のある一点しか知覚できない。未来にも過去にも行けないし今現在にしか存在できない。
時間が過ぎ去ったあと、過ぎたと考えるだけで、時間の流れ自体は知覚できてないですよね。
よって行動によって直接影響力を及ぼすことができるのも今に限られています

過去は触れることもできず、変更することもできないというのが常識です
しかし未来の方はどうでしょうか?
一般的な概念でも、未来は現在の行動によって変更可能です。

時間は未来から流れる、というのは現在と未来の関係を位置的に捉え直しただけじゃないでしょうか。
単純に未来を自分の行く先、目的地として考える。
目的地が変わると現在の自分の向く方向が変わる。方向が変われば現在の行動が変わり行く道も変わるのが道理です

1年後に英語を話せる未来をイメージすれば、今の自分は勉強を始める=現在が変わる
未来のイメージが現在の自分に影響を与えた訳で、これをもって未来から時間が流れると解釈できなくもない
難しい理屈をくっつけることもできますが、捉え方を変えてポジティブにしただけな気もします

たかがイメージ、とも言えますがこうした時間に対するイメージは実は非常に重要です
先述の通り我々は時間を知覚することはできない。よって初めから我々にとって時間は解釈上の存在でしかない訳ですから。その意味では解釈こそが本質です

・トラウマは存在しない

では思想的な部分から過去を捉えるとどうでしょうか?

[トラウマは存在しない]とは[嫌われる勇気]の著者としても有名な心理学者アドラーの言葉です
これはやや誤解されて伝わっているそうですが、要点は以下の2点です

[いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない]
[自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである]

平たく言うと、
過去の経験はそれ自体に意味はなくて、自分がそれをどう考えるかがだけが重要ということですよね
つまりトラウマ体験をトラウマにしているのは今の自分であるということ。

誰でも身に覚えがあるんじゃないでしょうか?
俺も経験がありますが、死ぬほど苦しい時期には過去の嫌な経験がトラウマとして蘇ってきます
両親との関係、過去の失敗、自分の行い、実力のなさが恥ずかしさや罪悪感となって襲ってくる
トラウマが蘇ってくるのは今の自分が弱気になっているからです

失敗した自分、あるいは失敗しかかっている現在の言い訳を過去に求めている
これがアドラーのいう[経験に意味を与える]という状況ですね

ところが現在がうまくいって何かを成し遂げた時には[逆境が自分を育てた]などと言い出す
調子がいい時にはすっかり忘れてトラウマだったはずの体験をプラスの意味で捉えようとする
だから結局原因はトラウマではない。現在の自分が過去の意味を決定しているだけです。

一般的に、現在は過去の事実や行動の積み重ねと考えられていますがこれは一面的でしかない。
上記の様に、現在の自分が過去を塗り替えてしまう訳ですから

※ただしここでいうトラウマはPTSDを引き起こす様なショック症状としてのトラウマを指しているわけではありません

・未来は光、過去は影

ネイティブアメリカンのホピ族には時間の概念がないことが知られています
また古代マヤ人もマヤ時間思想という独特の考え方を持っています
我々が持っている時間という概念は絶対のものでは全然なくて、文化によっても大きく異なるものなんですよね

時間というものは当たり前のようでいて、それがなんなのかを答えることすらできない。
そう言った聖アウグスティヌスという人物も時間の考察者として知られていますが、やはり時間の解釈というのは宗教家が着目せざるを得ないほど神秘的かつ我々の存在意義に関わる概念なんですよね

こうして時間に関するエピソードを考えた上で、今のイメージを整理するとこんな感じになります

向かっていく未来が現在の行動を決める
現在時点の自分が過去を解釈し、プラスにもマイナスにも捉える

こうしてみると未来が太陽で、過去は現在の自分の影のようです
結局のところ、実体として存在するのは現在の自分だけ。それが俺のイメージです

・今に集中するしかない

過去は無い。未来も無い。あるのはいまだけだ。
これは32歳で医師から余命数ヶ月と告げられた工学博士の田坂広志さんが死の淵で得たという教訓です
田坂さんはある禅師にこれを教えられたそうです
死に向かう日々の中で、先を思い悩む事ばかりに囚われていた
体より先に心が先に死んでいた=今を生きていなかった自分に気づく

また田坂さんはこの言葉についてこうも解説しています
逆境にある人間がすべきことは今に集中して乗り越えること。にも関わらず人は過去の失敗や未来への不安を思うことでエネルギーを消費してしまうと

死の淵から蘇る人間の精神力。やや哲学的な要素を感じる話でもありますが、
工学の教授である田坂さんから精神力や覚悟の話が語られることは逆説的で、大きな説得力を伴っています

ニーチェの永劫回帰思想にも近いものを感じます
詰まるところ過去にも未来にも囚われず[今を生きる]という思想は、人間にとってある種の到達地点なのかも知れません

時間の考察には答えは出ません。しかし個人にとって重要なのは時間とは何かを突き止めることではなく
どうやって今を生き切れる自分であり続けられるかだと思います

自分は自然科学的な知識を根拠にしたい方ですが、人によってはそれがスピリチュアルや自己啓発なんでしょうね。
頑張る理由になるんなら結局なんでもいいのかも知れません


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