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「ブルースだってただの唄」最近読んだ本

今にして思えば完全に偏見でしかないのだけど、初めてアメリカ南部(ジョージア州とテネシー州)に行くまで、私はアフリカ系アメリカ人の方々を特別視していた。

ラップや映画を嗜む過程で、アフリカ系アメリカ人は自らの権利を取り戻すために高い意識や強い言葉を持っているのが普通、みたいな先入観ができあがっていたんだと思う。たとえばそれは、黒人はみんなラップやダンスが好きとか運動神経がいいとか陽気だとか、そういうのと同じ類の偏った思い込みだった。

しかし実際に南部をウロウロして出会った人たちは、私が抱いていた「こうであってほしいアフリカ系アメリカ人像」みたいな偏見とは当然ながら全く異なり、例えば日本でそのへんの人と話すのと同じように、極めて素朴な話題で、素朴な反応を見せた。私が変に食い入った話題を持ち出しても、キョトンとされておしまい。中にはそれに応じた人もいたけれど、かなりレアだった。最初はなんだか大きく空振りしたような、肩透かしを食らったような気分になったものだった。

この本を読んで、あの頃の自分を思い出した。

「ブルースだってただの唄〜黒人女性の仕事と生活」は、1980年代にアメリカに住んでいた日本人の著者が黒人女性たちに行なった、聞き書きの記録だ。

タイトルのとおり話題の中心は仕事や生活に置かれている。学校のこと、幼少期のこと、家庭のこと、信仰のこと、刑務所にいたときのこと……。

語られる言葉は装飾されたものでなければ、リリカルとかポエティックとかでもない。時として聞き手の質問の意図が伝わってないんじゃない? と感じるような噛み合わなさも、そのまんま記録されている。

でも、生活者たちによる等身大の言葉だからこそ、ラッパーがステージの上で、もしくは活動家たちが大勢を前にした演説で放つような特別に設えられたメッセージとは違う生々しさが、突如として喉元に迫ってくる。

「生き残る(survive)」ことの困難を語る声は、それまでパラパラと読み進めてきた私の網膜(いや、鼓膜だろうか)に突き刺さり、すべてを読み終えてしばらく経った今となっても、心の中に残り続けている。

あの日、南部で会った人たちとの素朴な会話も、話した内容はだんだんとおぼろげになりながら、今の私をかたちづくる大切なピースの一片として自分の中で生き続けているということを、なんだか今になって実感した。


ご興味あればぜひ読んでみてください。おすすめです。

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