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日本の現実を直視した『シン・ニホン』が、なぜ希望の書なのか

読書会の対話から、さらに新しい気づきが生まれた

自分が製作に関わった書籍の書評を書くというのはありえない。そう思っていた。作り手の一人として感慨はひとしおだし、それは書き切れないほどある。そもそも第三者になりにくく、自分が評論をする対象ではないのだ。

プロデューサーとして参画した『シン・ニホン』についてである。
感想を書こうとすると読み手してではなく、作り手の視点になってしまう。刊行時にその製作プロセスをブログに書いた。著者の安宅和人さんがどんな思いで執筆に向き合ったか、編集者の井上慎平さんがそれをどう受け止めたか。それは、「中の人」として知り得たことを、読む人にも伝えたかったからだ。

それでも『シン・ニホン』の書評を書こうと思う。きっかけは読書会で多くの読者の方々と一緒に読み直したことだ。通常、自分が制作に関わった本については、他の読者よりも自分がよく知っているという自負がある。なので読者と一緒に議論することに、これまで積極的ではなかったが、『シン・ニホン』の読書会を重ねることで、新しい認識が生まれた。製作段階から原稿を何度も丁寧に読んできて、もう内容を知り尽くしているつもりになっていた本なのに、読書会という対話の場を通して、自分の中に新たな気づきが生まれたのだ。これには自分でも驚いた。作り手がなんでも見えていると思うのは嘘だった。

何度読んでも圧倒される著者の知的パワー

本書の真骨頂は、世界や日本の現状をファクトベースで分析し、そのしんどい現実に悲観するのではなく、より良い未来に変えようと具体策まで提示しているところだと思う。現状の悲惨さを提示し危機感を煽る論調は世間に溢れている。それをあたかも、自分だから知りえたのだとばかりにマウンティングする議論も多い。一言でいうと偉そうに語っている本である。確かにその見識には一目置くこともあるが、それで読み手に何を期待しているのか。
一方で、将来に対する楽観論の中には、希望に溢れているものの、その根拠がまさに「希望」であって、ともすると理想論に終わっているものも多い。

『シン・ニホン』は、現実を直視した上での「希望」の根拠を示した、明るい未来をつくる行動指南の書と言える。だからこそ、日本の惨状も圧倒的な分析力によって、これまで見なかったような解決策の提示につながっている。この知的パワーには、何度読んでも圧倒される。知力、体力、熱量がなければここまでの深い考察を「言葉」に落とし込むことはできなかったであろう。

読書会を通して、いろんな意見や感想を聞くことができた。上記のような分析力の凄まじさはもちろんのこと、A I×データ社会の現実や次世代に必要な人材像、最終章に描かれている「風の谷」などについての共感も多かった。

ファクトベースの本書の中で異質な箇所

そんな中で、読んだ人の中で感想を口にするのが多かったのが、3章「求められる人材とスキル」の一角に書かれた「人としてのチャーム」についてである。この章は、これからのA I×データ時代において、日本の勝ち筋を実現させるために必要な人材の要件を語っている。内容は、人材のAI-ready化が必須であるという前提から、異人の価値やこれからのリベラルアーツとは何か、そして人間の知性の本質にまで踏み込んでいる。

そんな中、ひっそりと書かれているのが「人としてのチャーム」である。それは、人と違うことをやることが価値になる時代において、だからこそ人としての魅力の重要性を語っている。

著者の安宅和人さんは日頃から人を褒める時によく使うのが「あの人はチャームだから」という台詞である。人の才能にひときわ敏感な安宅さんだが、「チャーム」をことさら重視しているように見える。
思い返せば、この箇所は原稿執筆のかなり後半に急遽挿入されたところだ。本全体の構成にはほとんど影響がなく、なくても論旨は通る。それでもここに加筆したいと安宅さんは考えたようだ。ここが加わった時、僕は「いかにも安宅さんらしいな」と微笑ましく、けれど言うなれば「蛇足ながら」という一文がつくような箇所だと認識していた。

しかもファクトベースで語る本書において、この「チャーム」に関しては歯切れが悪い。チャームの具体像として、「明るさ、前向きさ」「信じられる人であること、人を傷つけたり騙したりしないこと」「素敵な裏表のない笑顔」など11項目が箇条書きで並べられ、その後に「といったところではないだろうか」とまとめられている。まさに人のチャームは人の数だけ存在してもおかしくない。

そこが多くの読者に響いたのだ。そして読書会を通して僕は、ここが「蛇足」などではなかったことにやっと気づいた。

解き放つのは、人間の可能性

このチャームについての記述は、『シン・ニホン』の中でも唯一と言っていいほどファクトベースではない箇所とも言える。MECE(もれなく、ダブりなく)表現されているわけでもなく、そもそもファクトベースの分析から語れるものではない。数値化できるものでもなければ、さらに言うと言語化することさえ困難なもの、それが「その人の魅力」である。

だからこそこの「チャーム」が本書全体の中で輝いている。A Iとデータを使い倒すことによって、生産性を指数関数的に上げる力を手に入れることができる。キカイの圧倒的な力を社会に活かそうと主張する著者の一面には、それでも人間にしかできないことが膨大にあると言う、人間の限りない可能性への信頼がある。その代表とも言えるのが、このチャームについての記述であろう。

本書における人間への限りない可能性は至るところで感じられる。同じく3章では「逆説的に聞こえるかもしれないが、データやA Iの地位からを解き放った時に求められるのは、さまざまな価値やよさ、美しさを知覚する力であり、人としての生命力、人間力になる可能性が高い」と書き、その後、珠玉の「知性の核心は知覚」の節につなげる。

最終章の「6章 残すに値する未来」では、「未来は目指すものであり、創るもの」と読者を行動へと促す。ここでは問題解決には2つの型があることが紹介されている。一つは、あるべき姿と現状とのギャップを見極めそれらを分解することで、ギャップを埋めるソリューションが実現すると言うものである。いわば一般的に言われる問題解決の技法である。それに対し、2つ目は、そもそも「あるべき姿」がわからない問題である。つまり予想できない未来においては、「あるべき姿」という答えは存在しない。そこで必要となるのが、自ら目指す姿を設定することであり、そこから始めるのが、「ビジョン設定型」の問題解決だという。そして以下のように書かれる。

仮にどういう姿になるべきかが見えたとしても、どのようにしたらそこに辿り着けるかの明確な答えも簡単には見つからない。このタイプの課題解決は、世の中の課題解決の1割もあるかどうかだと思うが、これこそが、データ×A I時代に人間に求められる真の課題解決だ。(393頁)

ファクトベースを信条とし、データとA Iの力を使い倒すことの意義を強調する本書は、数値化も言語化もしにくい、人間の持つ限りない可能性こそ最上位に位置づける。テクノロジーのことを語れば語るほど、人間の持つ力が浮き彫りになる。データやファクトを用いて言葉で語れば語るほど、言葉にならないものの価値が際立ってくる。

人間に対する限りない信頼と愛情がなければここまで書けなかったであろう。本書でしばしば登場する「解き放つ」はテクノロジーの力のことであり、人間の能力のことでもある。その意味で、本書に通底している「希望の持てる未来を我々の手で創り出そう」というメッセージは、人間に対する絶対的な信頼を置く、著者の信念なくして出てこない言葉ではないか。だからこそ本書は希望の書なのだと思う。


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