神様はATMの使い方を知らない
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今後の運用はまだ決めてませんが、ためしにやってみます。
去年、母が脳血管の病気で倒れた。
初期の認知症のような症状が出たと思ったらあっという間に悪化し、1か月ほど入院したという。
絶望的な状態だったが奇跡的に回復し、その後は以前と変わらぬ生活に戻ったそうだ。
実家との交流を断ちたいわたしは、母の入院中もコロナ禍を言い訳に帰省を拒み(どっちにしろコロナで見舞いはできなかっただろうし)、たびたびかかってくる父からの電話にもできるだけ事務的な対応を心がけた。
実家は飲食店で、長らく父と母ふたりで切り盛りしている。
父は主な食材の仕入れと調理を担当し、それ以外のすべて(家事と子育てをも含めた“すべて”だ)を母が担当していた。
母が入院することになり、父はよほど困ったのだろう。
店を開けるか閉めるかもすぐには決められず、開けたもののひとりではどうにもならない様子だった。
たびたびかかってくる電話で、父の声は疲弊していた。
父は多分わたしに帰郷して店を手伝うかどうにかしてほしかったのだろう。
母が受け持っていた接客や、仕入れ業者との折衝や、帳簿付けや、風呂洗いや、皿洗いや、飯炊きや、洗濯を、やってほしかったのだろう。
そういう哀れさと憔悴がちらちらと伝わる電話が続いた。
わたしは彼の娘として培った「父への忖度」という感性で敏感にそれを察知し、取るものもとりあえず実家に帰りたいという衝動に駆られた。
でもそれはほんの一瞬のことだった。
実家には兄も住んでいる。
大の大人がふたりもいればどうにかなるだろう。
接客も、仕入れ業者との折衝も、帳簿付けも、風呂洗いも、皿洗いも、飯炊きも、洗濯も、母はひとりでやっていたのだから。
遠い故郷で困りきっている老親の様子に胸が痛んだが、心の底から「知ったことか」とも思った。
わたしは帰郷しなかったし、自分からは連絡も極力しなかった。
やがて、母の容態が落ち着いて退院することになったと連絡がきた。
父はさっぱりした口調で笑いながら、母のいない日々がいかに大変だったかを話した。
「本当に困ったよ。なにせATMの使い方も知らないんだから」
驚きすぎて、絶句してしまった。
ATMの使い方を知らない?
個人事業主なのに?
社会人なのに?
どうして?
答えは分かりきっている。
全部、母に丸投げしていたからだ。
わたしにとって父は、逆らうことの許されない王様で、怒らせると祟りをなす恐ろしい神様みたいな存在だった。
父は勉強ができて、頭の回転が速く、流行りに敏感で、運動が得意で、魔法のように美味しい料理を作れる、すごいひとだった。
不機嫌になると大きな音を立てて歩き、思い通りに物事が進まないと客がいても平然と声を荒げ、苛立ちを露わにして恐怖で家族を支配する、怖いひとだった。
でも父は、ATMの使い方を知らなかった。
外聞を気にする虚栄心の強い父が、一体どうやってその危機を乗り切ったのだろう。
銀行も郵便局も顔見知りばかりというような田舎で、たいていの大人は難なくこなせるであろうATMの操作ができず、局員に助けを求めたのだろうか。
そのシーンを想像すると、悲しさと居た堪れなさに寒気がする。
さっさと帰って手助けをしてあげればよかったという後悔と、腹の底からの「ざまをみろ」という気持ちが入り乱れる。
人生の黄昏時になってそんなつまらないことで恥をかいたのだろうかと想像すると、父が哀れでならなかった。
そして同じだけ、ATMの使い方も知らないのに万能の神様か王様かのようにふるまい続けていたのかという、軽蔑の気持ちが湧いてくるのだった。
軽蔑。
それは父に対してはじめて持った感情だった。
恐怖でも、思慕でも、憎しみでもなく。
神様としてではなくただのひとりの人間として、父を軽蔑した。
一体、この男のなにをそんなに恐れていたのだろう。
妻が入院した途端生活が立ち行かなくなり、ATMの操作さえおぼつかないこの男の一体なにを。
そう考えるとひどくむなしかった。
そして夜明け前の澄んだ空気のように清々しい気持ちになった。
わたしの父は神様じゃない。
そのことを、わたしはようやく知ったのだ。
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